くろねこ先生波乱万丈物語 第3話
「理想郷に向かう戦闘態勢は上々です!」
あなたが、ふと自分の人生を思い返してみた時、自分が主人公の話はどんなだろうって思い描いてみたくなるかもしれません。今夜もまた、眠りにつく前に くろねこ先生波乱万丈物語に付き合ってみませんか?くろねこの話を聞きながら、あなたも「あの時のあなた」にまた出会い、「なあんだ自分は自分でよかったんじゃない」なんて思うかもしれません。そんな自分再発見のんびり心の旅、ぜひ一緒にお楽しみください!
癇癪の児童心理
1+1=2の意味が理解できず、世間でいう「一般の子供」からずれていた私の空想力は常にマックスでフル回転であった。ここで私の幼少期の印象を確認しておくが、皆にいじめられて心の殻に閉じ込もっていた可哀そうな寂しい子供という印象を抱いたのであれば、それは全くの誤解である。私はいたって元気で人なつっこく大変勝気であって、心理的には暗い幼少期を過ごしたという思い出はないのである。が、前回の話でも触れたようにぎこちない家族関係の中にあって、どうしても気持ちが「現実世界」より空想することや想像することに向くほうが多かったのである。しかし、性格は攻撃的だったので、 この空想力や想像力がマックスというのはかなり厄介であった。どうしてかというと、空想したり想像したりして出来上がる「完璧な自分の世界」を他者によって変えられたりるすると、非常に敏感に反応し、ものすごい攻撃的になったからである。
これは例えば、作りたいものの材料が手に入らず癇癪を起こすとか、自分で完璧にセットアップしたおままごとの家具や小物の配置が、ほかの子供に動かされてブチ切れするとか、自分でイメージしたごっこ遊びのキャラクターが、ほかの子どもの考えていたのと違ってたから頭から湯気を出して怒り出すとか、楽しみにしていた七夕の飾りが自分の想像してたのと違ったから、縁側から落ちる勢いでらぎゃんぎゃん泣くとか、まあ、一般的にいう「わがまま」ということになるわけだ。
わがままな自分の子供が「恥ずかしい」
この自分が欲しかった「完璧な世界」というのは、そんな風に、自分が何かを想像して作りたかったものでもあったが、一方では、自分の心の中に描いた世界や理想や考えでもあった。例えばこうだ。母親と買い物に行ってお菓子を欲しいとねだる。母親は「また今度ね」という。「いやだ買って!」と泣く。母親は例によって、店の中で泣かれると「恥ずかしい」のリアクションになる(うちの母親だけではなく、きっとそういう子育ての時代であったのだろう -サザエさんのフネさんもそうだし)。
で、私がこういう時感じたことは、今思うと自分でも不思議なのであるが、「お母さんというものはこんな風に言わないはずだ!」なのである。子どもながらに思ったことは、「お母さんというものは ’虫歯になるからだめよ’ とか ’自分のおこずかいで買おうね’ とか、そういうお母さんらしいことを言うのが本当だ」なのである。自分の理想のお母さんの言葉が自分に向かって発せられないことに苛立ちを覚え、幼な攻撃軍であった私は、はたまたここで感情的になる。泣いて 地団太を踏んだり母親の太ももををポコポコたたいたり。
母親は例によって困惑して自分を見つめ、そして辺りを恥ずかしそうに見て、感情的に「だからあんたは嫌なの!」となり、私は母親に嫌われていると感じてもっと泣く。いつもの悪循環だ。幼い自分を弁護するために断っておくが、この段階に入ると、実はもう買ってほしいお菓子のことはもうどうでもよかったのである。私はただ自分の「理想のお母さんの言葉」が自分には向けられない事がどうしても納得できなかったし、またその感情をどう冷静に表現しいいのかもわからなかったので、感情的にしかなれず、それを見て周りの大人たちは 「わがままな子供ねえ」と言って笑い、母親はまたそれを耳にして さらに恥ずかしい思いをしたのだろう。
「心の理想郷」と感受性の構図
しかし、ここで不思議だと思うのは、いったい幼い私はどこでどうやってこの「理想のお母さんの言葉」を自分にインプットしたのだろう。きっと、テレビのアニメやドラマで見たり、他の子供がその母親に言われているのを目にしたりして、そういうことに憧れたのだろう。
一つ言えるのは、子供ながらにかなり強い感受生をもった子供だったのかもしれないということだ。何か自分にとって魅力があることを聞いたり見たりすると、それをものすごい強い印象を持って自分の心の理想郷や空想世界の中に取り入れてしまうのである。これは、どの時代でも創作活動をする大人にはかなり強い武器になるが、悲しいかな1970年代、 世間ではこういう子供の心理を分析することもそう一般的ではなかったし、こういう子供は「ほんと神経質で難しい子供ねえ」と言われて、「もう少しきちんと躾なきゃねー」と言われるのが落ちであった。
さて、その買い物で泣いた後のことも今思い出した。これまた私がどんな子であったかを想像できる話になるが、母親は、その恥ずかしさに耐えられず(というより、こういうことが起こるたびに母親なりにどうしたらよいのか悩んだのだろう)、結局お菓子(なりおもちゃなり)を買ってしまうことが多かった。さっきも書いたが、私的にはもうそのお菓子なんぞはどうでもよかったわけで、母親がそれを買ってあげて事を終わらせようとしたことは、私をさらに感情的にさせたのである。だって、(あの時の私にしてみると)「理想のお母さん」はそうするべきじゃあないからである!
結局なんじゃもんじゃで、「事件」が一件落着してその日は終わっても、私の理想郷は絶対崩れることはなく、私はいつも空想で作り上げた世界を自分で裏切らないために 常に戦闘態勢を怠らなかった。悲しいかな(愉快かな)、「波乱万丈人生予備軍」の戦闘態勢は上々であった。
子どもが夢見る現実的理想
幼い自分を弁護している私であるが、今大人になって思い返してみると、私が幼いころ空想で作り上げた理想の世界は、やっぱりちょっと不思議であったかもしれない。というか、妙に現実的なところがあった。「理想の母親の言葉」への想い入れもそうであるが、空想力がマックスだった子供がかんがえるにしては、夢がない感じがする。よく思い出してみると、遊び方や、好きだったお絵かきの中にもよくそれが表れていたのではないかと気が付いた。このことはまた次の話で描いてみようと思う。