くろねこ先生波乱万丈物語 第5話

グランドキャニオンから落下したチョークの行方

あなたが、ふと自分の人生を思い返してみた時、自分が主人公の話はどんなだろうって思い描いてみたくなるかもしれません。今夜もまた、眠りにつく前に くろねこ先生波乱万丈物語に付き合ってみませんか?くろねこの話を聞きながら、あなたも「あの時のあなた」にまた出会い、「なあんだ自分は自分でよかったんじゃない」なんて思うかもしれません。そんな自分再発見のんびり心の旅、ぜひ一緒にお楽しみください!

くろねこ先生波乱万丈物語 第4話「戦闘態勢をとる訓練とリカちゃん人形の偉業 」はこちらからどうぞ

海外移住した波乱万丈軍人生予備軍

周りの大人たちにすると「扱いにくい子」であった波乱万丈予備軍の私は、自分の理想郷を守るために、周りの大人たちに対しても、友達に対しても常に戦闘態勢を怠らなかった。数字アレルギーもひどかった私の人生の戦に勝つにための武器は3つしかなかった、リカちゃん人形とチョークと鉛筆である。このうちリカちゃん人形の驚異的な働きは前回お話しした。


…と、まだこれしか書いてないが、ちっとも筆が進まない。自分がいかに劣等生だったかを書くのにはちょっとうんざりしてきた。事実、私は劣等生だったけれど、そんなに暗い子供時代を過ごしたわけではない。これを読んでる誰かの声が聞こえてきた。「だからさーそーゆー子供が、どうやって大人になってオーストラリアに移住して先生になったん?そこが聞きたいんだよねー」事実、海外で幼児教育に携わる日本人の方たちの,ソーシャルメディアにのっているプロフィールをのぞいてみると、結構威嚇される。皆さんどこそこの有名な大学を出て、日本での凄いキャリア経験を経た後、それを資格にして海外に移住し、現地でまた教育学士を取って就職して今に至る、なんてのが結構並んでいる。これを読んでる人にとっては、リカちゃん人形をもって世界に挑んでいた算数音痴の私がどうやってそういう人たちのはしくれに加わったのかというのは、それはまあ、興味深いところだろう。

家の間取りで遊ぶ極意

さて3つの武器についてであるが、このなかのチョークと鉛筆は、まさに私の想像力と空想力をマックスにするものであった。チョークで何をするかというと、路地いっぱいに「家の間取り」をかくのである。これもまたものすごい現実的な遊びであった。遊ぶ相手はいつも近所のエっちゃんである。2人でそれぞれ自分の理想の家の間取り図を実物大 2Dで画いて、出来上がったたらシュミレーションのごとくお互い訪問し合うのである。ここでも、幼いくろねこ先生は自分の理想郷を守り抜こうと戦闘態勢上々であった。

玄関にお客様 エっちゃんがくると自分特有の「美意識」が発動する。エっちゃんが、綺麗な花に飾られた玄関を見て素通りしようものなら、すぐにNGとなる。「ちがう、ちがう ここにきれいなお花があるでしょ?きれいねって言わなきゃだめなの」。「ああそうか」と、はじめはエっちゃんも呑気にかまえる。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

リビングルームは、当時流行し始めたけど一般庶民にはまだまだ浸透できない対面式キッチンというおしゃれな代物であった。「ふうん」と呟いてとりあえず、これまた当時はちょっと贅沢な暮らしの家にしかなかった素敵なソファ(の絵)に座ってみるエっちゃん。ちびのくろねこが恭しく、(うそこの)手作りのケーキと、子どものにはまだお洒落な飲み物だった(うそこの)レモンティーを、お花の散りばめられた金縁のカップに入れて持ってくる。エっちゃんは、とうとう「ぐふっ」と笑って、ぐお~と、まるで酔っ払いおやじの勢いで「レモンティー」を飲み干す(まねをする)と、「行こ!」と言って、なんと壁を突き抜けて隣の自分の家に帰ろうとするではないか。これはもう、爆弾級のNGである。ちびくろねこは手と足を大いに振ってこれは違う、あれも違うと地団駄を踏む。

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気の毒なエっちゃんは、路地の脇に座り込み「は~」とため息をつく。「もう飽きた」と言って肘を膝につけて頬ずえをしスネ夫のような顔になっている。「もうこの遊びやめよ~」と言うのは無理もない。こんな感じだったからエっちゃんとの交友関係は小学校高学年以降は続かなかった。‐これを読んでる方は、小さいころどっちだっただろうか。エっちゃんだったって人が、まあほとんどであろうが、意外とちびくろねこも結構いたんじゃあないだろうか。

協調性と個性的美意識の狭間で


幼稚園で子供を教えていると必ず、自分のつくり上げた「イメージ」を曲げることができず、ほかの子供と強調してもの創り遊びを楽しめない子供と出会う。そういう子供に「仲よく作ろうね」なんていうのは、グランドキャニオンの谷に「静かに投げてあげるからね、痛くないよ、我慢しようね」と言われて突き落とされるのと同じ気持ちにさせるのである。協調と平和が大切だからと言って、せっかく存在している自分のイメージを、現実にあるもの(おもちゃ)を使って表現することを遮断されたら、どうやってその小さな社会と接点を持てる「自分」を認識することができるだろう?教師がここでしなければならないのは、そういう自己表現を徹底的にさせて上げたその後に、その体験を元にして、その自己表現の素晴らしさを周りの人たちと共有したいと自然に感じさせてあげるように導いていくことだ。そうすれば、ほかの人の表現価値もおのずとわかってくるし、時間がかかっても協調性が芽生えてくる。

「そうしたい」と「わがまま」

といっても、まあ、日本でもオーストラリアでも、今の幼稚保育園状況を考えると、なかなか現実はそううまくはいかないだろう。くろねこ先生学童期は70年代だったから、この領域は更にもっと未開発であった。

だから今、小さかった自分の「どおしてもそうしたかった」という想いを今は、「それはわがままだった」とは言わずに認めてあげたいと思う。チョークで自分の理想を描いて、理想の生活がしてみたかったちびくろねこ。それはなぜかお城や妖精の国ではなく、理想に描く「素敵な」お家。チョークを使わなくても、幼稚園の園庭にあった廃車の中、学校の校庭の隅や、公民館の裏山で繰り広げられる 「ごっこ遊び」はいつも自分の現実的な理想郷をイメージさせる、大切な魔法の杖だった。これは、後に中、高等学校で有り余る情熱を降り注いだ演劇活動への取り組みの始まりだったのかもしれない。けれど、そのことを話す前に、最後の武器「鉛筆」についてもどうしても書いておきたいことがある。次回も「くろねこ先生波乱万丈物語」、ぜひお付き合いください。

Photo by Jesson Mata on Unsplash

こんなお話もあるよ!

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