Children’s Performance

「子供の発表会なんて親のためにあるんじゃない?」

1.幼稚園の年中行事と一斉教育

最近,ソーシャルメディアで 幼稚園保育園での「発表会」について先生たちがディスカッションされているのを目にします。 運動会もそうですが、このような「一斉保育・教育」感のある年中行事はちょっと抵抗を感じる先生方も多いようですね。「発表会なんて子供のためではなく親が楽しむためのものだ」というのも理由でしょうか。

オーストラリアのマルチカルチャリズムと世界ぐるぐる問題

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ちょっと、話外れますが、オーストラリアでは、ここ12~15年の間で「子供の権利」を土台として、子どもや家族の多種多様の文化を尊重するべきであるという理念のもと、たくさんの学校や幼稚園の行事がニュートラル化してきました。 (純粋に考えるのであればここは先住民アボリジニの土地ですが)合理社会的に言うと オーストラリアはイギリスの領地なので、周知の通り元来キリスト教文化の国です。なのでイースターやクリスマスは国中の学校で祝う年中行事でした。 しかし、今ではイースターやクリスマスを祝わない学校が増えてきていて、 どの宗教に属する子供も(クリスマスの後に待っている)夏のスクールホリデーを楽しめるように、「ハッピークリスマス」を「ハッピーホリデー」と変えて歌ってみたり、「クリスマスをお祝いしない」とハッキリ決めてしまうところもあるようです。

くろねこ先生メルボルン幼稚園クラス2011年の頃の写真でしょうか。世界中のいろいろなダンスを体験するワークショップを楽しむ子供達

オーストラリアはアボリジニの土地なので、幼稚園や保育園でも先住民の文化を一年を通して体験し学んでてゆく事は大変重要です。しかしまた、これに加えて多文化を尊重するいろいろな国の行事を祝うことも盛んで、 中国旧正月を祝ったり、 日本のこどもの日に鯉のぼりを作ってみたり、はたまた インドのデュワリで民族衣装まとって踊ってみたりと、子供は次から次へと一年中世界一周旅行です笑。 まあ、もしも、その文化の意義をちゃんと理解してる上でなら、違う文化を体験するのはとても素晴らしいことですね。… で、ここで聞きたくなるのは… 「で、他の文化を尊重するのに、なんで自分の国の伝統行事は祝っちゃいけない(笑)」?(正直なところ、ムスラム教の子供もヒンズー教のこどもも「宗教」としてではなく、みんなクリスマスという「行事」を楽しみにしています。)

違和感がありますね。だって、切りがないようにも思うわけです。じゃあ、どこまでやって、どこまでやらないのが「多文化を尊重する」って事になるのでしょう?

日本の幼稚園発表会と「ためとためじゃない論」問題

話がそれましたが、最初に挙げた「幼稚園の発表会」の例でも「子供のためではなく親が楽しむためだ」と思って、そういうイベントを敬遠するのも、「どこまでがだめでどこまでがいいのか論」にはまっちゃてるような気もするんです。「一斉教育だから」というなら、「じゃあ小さいグループなら発表会やっていいの?」になるし、「親のためだ」っていうなら「じゃあ子供のためにならいいんでしょ」ってなって、「子供のために」やろうというのは結局「やらせる」ってことになるわけです。

つまりですね、ちょっと論点を変えなければいけないような…

オーストラリアの「世界ぐるぐる論」も日本の「為とためじゃない論」も、つまりはどこからきているかというと 「大人のやりたい」から来ちゃってるわけです。ね?「年間行事」という「大人のやりたい」があって、それが話のスタートになっているから、オーストラリアの先生も日本の先生も「終わらない討論会」に落ちいってしまうのかもしれません。

素敵で一生懸命な先生達のブローバル級の悩み

どこの国の先生だって一生懸命な先生はみんな、「正しい教育」はなにかとグローバル級で悩んでしまいますね、この悩みに国境なんてありません。

くろねこ先生は思うんです。 ここはですね、「子供のやりたい」に論点を移してみたらいいんじゃないかって!。 これをやり始めるとですね、本当に、面白いように、私たちがが理想とする「子供が主体の教育」がぐるぐると現実味を帯びて回り出します。 そして、そのために、ここでもやっぱり登場するのが「子供が主体の楽しい学びの冒険、プロジェクト学習」の導入です!

(前回の「日本でプロジェクト学習できるの?やろうよ子供が主体の楽しい学びの冒険」シリーズではテーマ学習とプロジェクト学習の違いについて書いてみましたので、今回の記事を読む前にぜひここをクリックして見てみてください。)

でもちょっとその前に…

2.年中行事って本当は一体どのくらい大事よ?

そもそも年中行事を祝うって、どんな意味があるのでしょうか?心のどっかじゃあ分かっているような感じもするけど…。

日本の「郷土的な気分」とレッジョ エミリアの子供市民権

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年間行事というのは、児童心理学的に言っても、子供の情緒の発達を促進する大切な役割を果たしていることは誰もが知るところです。ちょっと古い資料ですが、 秋田大学の奥山教授は「幼稚園と家庭の連携~園行事の実施と幼稚園教育の役割~」(1997年)という論文の中で「幼児の情操を養い、保育の変化と潤いを与え、郷土的な気分を作る上から、年中行事はできるだけ取り入れられることが必要である」と述べていらっしゃいます。

これはちょっと古い資料で、当たり前のことと言っちゃ、当たり前のような気もしますが、行事の教育的メリットを実にコンパクトに分かりやすくまとめてあるなと思います。「情操発達」という児童心理学的からの見解でもあるし、また「保育の変化と潤い」については「環境的アプローチ」という意味で、レッジョ エミリア Reggio Emiliaの「環境は第3の先生The Environment as The Third Teacher」の理念に通じるものもあるように思います。(これは日本の幼児教育の中の身近なもので例を挙げるとすると、例えば季節行事に沿った壁面飾りなんかがそれになりますね。日本の幼稚園では壁面飾りで教室の環境を年間を通して変化させることで、子供たちの社会的、文化的な感覚を刺激してあげますね。まあ、かなり日本的ではありますが、これも「環境は第3の先生」の例と言えます。)

「環境は第3の先生」の実践例。くろねこ先生 メルボルンの幼稚園クラス。2015年秋の収穫ー子供たちは自由にここに来て野菜を手に取ったり、自然素材で作ったミニチュアファームで遊んだりして、5感の刺激を受ける。このように先生のアプローチや環境設定で子供の学習感覚を刺激し学習をさらに広げてゆこうというアプローチのことをオーストラリア(または欧米全体)の幼児教育ではプロボケーションProvocationという言葉で表現することもある。

で、先ほどの奥山教授の論文が出されたのは1997年ですから、これは レッジョ エミリア の創設者ローリス・マラグッツィLoris Malaguzziが「子どもたちの100の言語The hundred Languages of Children」を発信してから大体10年後、まさに レッジョ エミリア アプローチがものすごい反響で世界を走り始めた頃です。なので、その頃に日本の教育者の中にもやっぱり共通する理念の軸があったんだと感じさせられます。また、「郷土的な気分を作る」というのも、 レッジョ エミリア アプローチの「子供は(地域)市民の一員」という哲学に通じているような感じがあります。子供が自分の郷土を感じそこに繋がりを意識する、という事です。

子供にとっての本当の学びのふるさとはどんな風景?

「子供は(地域)市民の一員」という理念、これが、実は レッジョ エミリア アプローチが世界共通の「カリキュラムのマニュアル」を構築しない理由だと、私は勉強しました。 レッジョ エミリア アプローチを導入する際、掲げる理念は同じでも、それぞれその地域性に沿った教育展望が必要であるという事です。

また、こどもの レッジョ エミリア における郷土的な感覚の発達について、 オーストラリアの レッジョ エミリア アプローチ研究の第一任者であるジャン ミリカンJan Millikanは「リフレクションReflection」という本の中で、教育哲学者であるデ∸ビット ハウキンスDavid Hawkinsが示した懸念を紹介しています。「 レッジョ エミリア はファッションになりつつあるが、教育者は彼らの個々の歴史を無視せずにその長所に反映して前進するべきである。私たちの教育のランドスケープLandscape(風景)は異なるものであるから、それぞれに違った戦い方(?)と戦略が必要となるのかもしれない。(訳;くろねこ)」

くろねこ先生 メルボルンの幼稚園クラス 2016.オーストラリアの郷土は6万5千年もの間先住民アボリジニによって慈しまれ大切にされてきたこの大地。これがオーストラリアの教育のランドスケープである

この懸念が示されたのも「子どもの100の言語 アドバンス リフレクションThe Hundred Languages of Children:Advanced reflections」という1998年に出された本の中で、という事なので、つまり「子どもたちの100の言語」の展示会から約10年後。ハウキンスが説く「異なった教育のランドスケープ」の奥義もまた、奥山教授が同じ頃に示した「郷土的な気分を作る」事の重要性につながってきそうです。日本では「郷土的」というと日本国内の異なる郷土というイメージになりますが、実は世界的に見ても全く同じ感覚で理解することができます。この異なる地域制で異なる教育を展開し、子どもはそれによって奥山教授の言うところの「郷土的な気分を感じ」、そして レッジョ 教育の心である「(地域)市民の一員」であるという感覚を育てるということになります。そして、これこそが幼稚園教育の行事の重要性だと、くろねこ先生は言いたいわけです。

いろいろうんちくを述べましたが、つまり(奥山教授の論文を裏付けとして)幼稚園教育において「行事」というのは、子供をその地域の市民の一員として尊重し、その感覚を育てるという大切な意味があるのではないかと、くろねこ先生は思うのです。そしてそれは、プロジェクト学習を学びの軸とする レッジョ 教育の重要な哲学の一つでもあるわけです。

忘れちゃならない幼稚園教育要領からのメッセージ

Photo by Mikołaj on Unsplash

付け足しとなってしまいますが、行事の重要性を裏付る事として、日本の先生方に決定的なのはやっぱり幼児教育要領(2017年)に示される指針ですよね。幼児教育要領では、第2章「ねらい及び内容」の「環境」の領域の(6)「我が国の地域社会における様々な伝統や文化に親しむ」のほか、全般にわたって地域や環境に触れる事の重要性が示されているようなので、ここでも日本の幼稚園が行事を大切にしなければならない理由が確認できます。

なので、これでもう、 私たちが年中行事を幼稚園でやろうという事について疑問を抱く理由はありませんね(普通はないか笑。)

3.幼稚園で発表会をする本当の意義

それでは、もう忘れてしまいそうになりましたが、この記事のトピックのはずであった年中行事、「発表会」は、この「郷土的な気分を感じ」たり「(地域)市民の一員」としての感覚を持つ事に本当に繋がるんでしょうか?「発表会」には郷土性や伝統文化的要素はあまりないような気がしますか?皆さん、どう思うでしょう?

子供の最小単位の社会

幼稚園保育園の「発表会」は、子どもが「(地域)市民の一員」としての感覚、そして 自分たちの「郷土」を 感じる心を助長すると私は信じます。なぜかというと子供が家族を招いて自分たちが用意してきたもの、学習してきたものをシェアする、その「空間」または「場所」こそが、子供が人生で一番初めに経験する一番小さな単位での社会的経験であり人間文化であり、「郷土」だからです。

教師ならば誰もが学ぶことの一つとして、こどもにとっての最小単位の「人間的つながり」は家族、という概念がありますね。この最小限の「つながり」が幼稚園になると、「自分がいる幼稚園」が彼らの小さな「社会」、つまり「郷土」になるわけです。子供たちは幼稚園で学ぶ間に、この自分たちの小さな「郷土」を拠点にして、少しずつ社会を広げてゆきます。子供たちは、この小さな「郷土」で、お友達とともに楽しい体験をしたり、問題解決に没頭したり、たまには争ったりしながら、人間社会の関わりを体験し、学んでゆきますね。この経験がなければ「人と人のつながり」を知ることはないし、それを知らなければ人間の文化や、はたまた自分の地域の郷土性を感じることは難しいわけです。

センス オブ コミュニティーと民主主義を生きる子供たち

Photo by Kimson Doan on Unsplash

そして勿論、そうした小さな人間社会の経験がなければ レッジョ エミリア の軸の一つなる「子供は(地域)市民の一員である」という事も感じることはできません。家族をよんで自分たちが「創ってきたもの、学んできたもの」をシエアするというのは、子供たちにとって初めての「小さな社会の一員としての存在の素晴らしさ」を身近な人たちと確認してセレブレイトCelebrateする事なわけです。

オーストラリアの幼児教育指針The Early Years Learning Framework(2009)ではこどもが幼児教育で培うこの社会的感覚のことを「センス オブ コミュニティーSense of Community」といいます。これには、お友達との関係、大人との信頼関係、先住民への畏敬の念 だけではなく、地域社会、そして地域の自然環境全てが含まれています。これは、 レッジョ エミリア をはじめとする社会構成主義教育全般で重要視されている「環境からの学び」そして民主主義教育が先導する「子供は地域市民の一員」の哲学が堅硬たる土台となっているわけなのです。

4.だから、魂に残る学びの冒険「プロジェクト型学習」をやろうよ!

 

話がまたちょっとずれましたが、つまり、今私たちが考えている「発表会」というのは、間違いなく子供たちにとって「彼ら自身の小さな郷土と社会」を意識できる、素晴らしい社会学習の場になる、という事なわけですね。

では、この「発表会」という「年中行事」を、「一斉教育」という感覚から解き放ち、また「大人がやりたいこと」から脱皮させて、どのようにして「子供主体の学習冒険」にしてゆくのか。 今回のお話、やっと本題までたどりつきましたね笑!ここで、くろねこ先生のプロジェクト学習が「たったらーん」と登場するわけです。

「これを発表会にしちゃおうプロジェクト」のお話

が、今回は長くなってしまいましたので、「やろうよプロジェクト型学習~子供が主体の楽しい学びの冒険 4~これを発表会にしちゃおうプロジェクト」は次回に持ち越すことにいたします(笑と汗)。

次回の記事では、同時に「グループの学習記録(ドキュメンテーション)」を日本の指導案記録に合わせて、お話してゆきたいなと思っていますので、ぜひ購読登録をして記事の更新をお待ちくださいね!

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また遊びに来てね!

この「日本の幼稚園で プロジェクト型学習できるの?やろうよ子供が主体の楽しい学びの冒険」は幼稚園のプロジェクト学習実践例を紹介する長期シリーズです。 初回のプロジェクト学習のイントロダクションはこちらからどうぞ。

日本の幼稚園で プロジェクト型学習できるの?やろうよ子供が主体の楽しい学びの冒険 その実践例第3「発表会やっていいの?幼稚園年中行事は一斉保育のシンボル?」」 いかがでしたか?「プロジェクト学習なんて無理無理!」なんて手を振っているあなた、本当は「ちょっとおもしろそう 」なんて心のどっかで感じていませんか?「日本のみんなでやろうよ精神なんて古い!」なんて言っても、私たちはやっぱり皆で繰り広げる大冒険が大好き!。そんなわくわく感、ぜひ子供たちと一緒に体験してみましょうよ!

「こんなトピックでの実戦例を紹介してほしい!」というのがあれば、このページの下にあるコメント欄か、こちらのコンタクトページからぜひリクエストくださいね。また、くろねこ先生は「プロジェクト学習を自分の指導案に取り入れたい!」という先生方をメールを通してお手伝いさせていただいています。ご興味がある方はぜひこちらをクリックして詳細をご覧くださいね!

Reference

  • 奥山順子,1997,幼稚園と家庭との連携 -園行事の実施と幼稚園教育の役割 https://air.repo.nii.ac.jp/Akita University Institiutional Repository System
  • Jan Millikan, 2003, Reflection Reggio Emilia Principles within Australian contexts
  • 幼稚園教育要領2017 – 文部科学省https://www.mext.go.jp/content/1384661_3_2.pdf
  • The Early Years learning Framework for Australia,2009,https://www.acecqa.gov.au/sites/default/files/2018-02/belonging_being_and_becoming_the_early_years_learning_framework_for_australia.pdf

 

こんなお話もあるよ!

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