くろねこ先生波乱万丈物語 第4話
戦闘態勢をとる訓練とリカちゃん人形の偉業
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あなたが、ふと自分の人生を思い返してみた時、自分が主人公の話はどんなだろうって思い描いてみたくなるかもしれません。今夜もまた、眠りにつく前に くろねこ先生波乱万丈物語に付き合ってみませんか?くろねこの話を聞きながら、あなたも「あの時のあなた」にまた出会い、「なあんだ自分は自分でよかったんじゃない」なんて思うかもしれません。そんな自分再発見のんびり心の旅、ぜひ一緒にお楽しみください!
想像力と空想力をマックスに起動させる遊び
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1+1=2が理解できなかった自分と、自分の心の理想郷を守り抜くために、常に感情的であり、自分に向かってくる世の中に対していつも戦闘態勢上々であった幼い私は、それでもすくすく(というのは、現在のの児童心理学上の視点で見ると語弊がありそうだが少なくとも70~80年代世代の子供としてはすくすくと)成長していった。 常にフル回転であった想像力と空想力が幼い私の、「世間」を生きる唯一の武器であったが、それがいつも周りにとっては厄介な事であったということは、第2話で話した。この「まわりを厄介にする」想像力と空想力をマックスに起動させた遊びは主に「お人形さん遊び」や「ごっこ遊び」、そして「お絵描き」であった。ちょっと、これらの遊びについて思い出して笑ってみたいと思う。
バービー人形とリカちゃん人形の社会的ポジショニン
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まず、お人形さん遊びであるが…。
いつの世代でもどこの国でも、子どもはお人形さん遊びが好きだろう。 メルボルンでもお人形さん遊びは子どもがハマる遊びだ。 メルボルンっ子のお人形さん遊はもちろんみんなの知るバービー人形である。
長く幼稚園教諭をやっていた私は、毎年、このバービー人形の熱狂的なファンに困らせられたものだ。バービー人形は、たいてい子供の幼稚園バッグに忍んで登園する(?)事がほとんどであったが、運悪く私に見つかっても、あのケバい化粧をした顔で「あたしがここにいて何が悪いのよん」と私を睨みつけるのである。 日本の可愛いリカちゃん人形で子供時代を過ごしたわたしにとって、このバービーさんはちょっと、ケバ過ぎるのである。子どもはバービーを幼稚園に持ってくると、必ずと言いていいほど細かいアクセサリーをなくす。 ’This is why you shouldn’t bring it to kinderだからお人形を幼稚園に持ってきちゃいけないっていってるのよ’と言いながら、泣き叫ぶその子のために血眼になってやっと砂場の中に置き去りにされた「ブツ」を見つけてあげると、またまたバービーが私を見て 「あんた、それ、砂だらけじゃん、ちゃんと洗ってよねん」と威張るのである。
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日本のリカちゃんのように「ああ、申し訳ございません。今朝目覚めましたらなぜかここにおりまして…なるべくご迷惑をおかけしないように静かにしておりますので」 などとは、バービーさんは言わない、。リカちゃんの方は、さらには、シューズの片方をなくしちゃったものなら、またまた丁寧に 「ああ、大変ご迷惑をおかけいたしました。手前の責任ですのでどうかお気になさらないでください」と3つ指まで付きそうな雰囲気である。 ああ、リカちゃんみたいなかわいいお人形のほうが幼児には絶対合ってる!なんて、つい日本人の偏見で思ってしまったりしたが、わたしにとっては、それも小さい頃の楽しいお人形遊びから来てる思いであった。しかし、 何でもトレンディがすぐに欧米の波にのまれちゃうってのも日本であるから、リカちゃん人形ももうとっくになくなって今は日本の子供たちもバービー人形が主流であるのだと勝手に思い込んでいた。
ところが、先日、最近始めたインスタグラムでリカちゃん人形をさまざまなファッションに着せ替え、演出を変えて毎日写真を撮り投稿している方を発見して思わず 「うわあ」と感動してしまった。 日本に帰国してない歴長い私は完全に浦島太郎級のくろねこになっていて、リカちゃん人形がまだ日本で販売されてるんなんて知らなかったのである。インターネットの爆発的な普及に伴って、今や世界中の情報を一瞬にして聞くことができたり、海の向こうの人々と繋がることはできる。けど自分が意識して知ろうと思ってないことは自分にはなかなか届かないというのが今のネット社会だ。しかも一人しかいない息子はお人形には興味がなかったので、この25年間お人形情勢など知る余地もなかった。リカちゃん世界の情勢(?)がどのように変化し、また人間社会の情勢の移り変わりによって変化してきた彼女の自身の価値(値段)や 彼女に飛躍的なファッション史のドラマがあったことなど、今まで全然知らなかったのである。このリカちゃんインスタグラムの方は、感激している私に、今でもリカちゃんは販売されていることを教えてくださり、リカちゃんキャッスルなどという、すごいテーマパークなるものも存在することを教えてくださった。 そして、こんな風にコメントされていたのが一番印象的だった。 「私も毎日リカちゃんに癒されてます。」
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「人形遊び」の心理的効果
で、私は、ここで ハッとしたのである。何をって、時代や世代を超えても、「人形遊び」の心理的効果は本当はすごく大きいんだってことを改めて強く感じたのだ。
これをきかっけに、私のインスタグラムには、最初の方のリカちゃんだけではなく、他の方のリカちゃん人形の写真、バービー人形の写真、シルバニアンファミリー、そしてそれぞれの国から、そのお国に昔から愛されているお人形さんを使ってクリエイトされる日替わりの小さな世界がたくさんリーチするようになった。その一つ一つの写真がユニークで愛らしく、大変繊細に演出され、本当に毎日その「お人形遊び」をされていることで心が癒されていることは、 見てるだけの私にもひしひしと伝わってくるのである。 わたしが強く思うことは、この癒しの世界への熱い思い入れは、私たちの現実世界とつながっていて、「こんな服を着てみたいなあ」「お家にこんな家具があったらなあ」という憧れと空想からの発想と、「実際には無理だけど、お人形の世界ならできる」というリアルなモチベーションとの絶妙な相互作用によって作られているってことだ。
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「ちょっと未来にきっと出来ること」遊び
そういう憧れを創造活動をもって表現するんなら、他にも絵画とか、造形とかあるけれど、お人形遊びはそういう表現を、日常の私たちのルーティンで体験してるごとく再現できるわけである。 忙しい朝に、スカートにマッチしたT-シャツを何回も着替えて選んでみるとか、テーブルの上の花瓶の花を変えてみるとか、泡ぶろに入って気分をリフレッシュするとか、そんなあってもいい現実を「ちょっと未来にきっと出来ること」として再現できるわけなのである。 そんな風に創り上げる自分の小さなお人形の世界を、愛おしいと思わないはずがないし、忙しく、ストレスの多い今の世界で生きている私たちは、それによってどんなに心が癒されるだろう。これはミニチュアトレインで遊ぶことや、プラモデルで癒しの時間を送るのと同じである。=
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想像と空想が生きる武器だった幼い私にとっても、リカちゃん人形と遊ぶ時間は、本当に癒しの時間であった。しかし、その時間はリカちゃんがお姫様になってお城に住んだり、リカちゃんと一緒にドラゴンの山を冒険したり、雲や虹の橋の上を歩くというような夢見る時間ではなかった。リカちゃん人形で遊ぶ世界は、私にとって、全てが、本当に全てが 現実的であった。 爽やかな朝に、忙しそうだけれど、気持ちのいい会話で賑わう家族、 友達がたくさんいる楽し学校生活、カバンの中はいつもきれいに整理整頓されていて、忘れ物をしない自分、 宿題を完璧にできる自分、算数ができる自分、漢字が苦手じゃない自分、自分を好きな先生、お母さんがお父さんとお話ししながら楽しそうに作ってくれるおいしい夕食、その日あったのことを楽しそうに話す兄弟。 それらは全てが、小さな私の、「いつかきっとこうなるね」の夢が詰まった、そんな世界だったわけである。 全ては現実的な想いなのであった。
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リカちゃん人形遊びの中でも、波乱万丈予備軍の私はこんな風に、自分の理想郷を守り、そして実現するために戦闘態勢を整え、日々訓練を怠らなかったのである。次回は「ごっこ遊び」の中で繰り広げられた、これまた現実的な戦闘態勢について書きたいと思う。ぜひくろねこの思い出の旅に、あなたも懐かしさを感じながら、また遊びに来てください。
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