くろねこ先生波乱万丈物語 第1話

あなたが、ふと自分の人生を思い返してみた時、自分が主人公の話はどんなだろうって思い描いてみたくなるかもしれません。今夜は、眠りにつく前に くろねこ先生波乱万丈物語に付き合ってみませんか?くろねこの話を聞きながら、あなたも「あの時のあなた」にまた出会い、「なあんだ自分は自分でよかったんじゃない」なんて思うかもしれません。そんな自分再発見のんびり心の旅、ぜひ一緒にお楽しみください!

予想のつかない人生

しかし、自分の予想してた通りの人生をあゆむひとなんて、そうそうはいないんじゃないだろうか。つまり!多かれ少なかれ、人はみんな波乱万丈な人生を経験しているんじゃないだろうか。で、言いたいのは、その乱れる波の波長が人によって違うわけだ。私の人生の波はまあ震度6で起こる津波みたいだったかな、なんて思うのである。まあ、自分で流れてきた道にしては(決して計画的に選んだとは言えないから、「流れた」と書くのが適当)つらいことが本当に多かったと思うんだけど、

…こんなことを書いていたら、いまはっと思ったことがある。

感情の起伏が激しい子供

私は小さい頃から感情の起伏が激しく、これには本人や両親だけじゃなくのび太くん(私の旦那さん仮名)もずいぶんてこずってきた。不安なこと、つらいことがあるとがあるとずんずん心配して「世界で一番かわいそうな私」になりすまし、涙をジャンジャン出してプロデュースする。私の今までの人生本当につらいことが沢山あって、つらかったときはそんな風だったけど、その代わり、そのつらさをクリアして一歩進めることができたときは、まるで10メートルもある波をサーフボードで乗り超えてたときの意気揚々な気分になれちゃたわけだ。私は感情の激しさを持つがゆえに、もしかして自分の波乱万丈を倍にして楽しむことができていたのかもしれない。

「1+1は何で2になるか」の子ども方程式

私の感情の起伏さは、社会的な経験にマイナスに働いたとどまらず、幼いころの算数の勉強にも大いに影響した。私は算数が大嫌いだった。母はわたしが随分年をとるまで言っていたものだ。「だって1+1は何で2になるか、それがどおしてもわからないって泣くんだもん」って。私は今でもよく覚えているけれど、大人が私に1+1=2を教えるために「ここにミカンが一つあって、で、こっちにももう1っ個あって、みかん全部で何個だ?」っていうと、 わたしはどうしても「2個だけれど、それが何で数字の1+1=2になるか」て頭で考え始める。そうすると必ず決まって大人が「はー」とため息をつきこういう。「なんでこんなことがわからないか」。大人が怒るので、例によって私も頭に血が上り泣きじゃくって、もうしっちゃかめっちゃか。

これで算数が好きになるわけないのであるが、このごろ自分なりに分析してみて、ちょっとわかってきたことがある。小さな私は、あの1+1=2の謎を通して、この世の中で人間が作ったいろいろな規則についての不思議さを子どもなりに感覚で感じていたのかもしれない。大人は1+1=2だって言って、そういう決まりだと私に説いた。けれど、どうしてそういう決まりなのかと聞くと、必ずミカンを持ち出すので、話はいつも堂々巡りに終わる(っていうか、しっちゃかめっちゃか)。私はこの辺からもうすでに波乱万丈人生の予備軍であったのだ。そして、こんなだった私がそれから十数年後に、どういうわけだか大学で初等教育を学ぶってことになるわけだ。

算数嫌いの子供の愉快な人生

算数がちぷんかんぷんの私がその後の学校生活で何に思いを巡らせ育っていったのか、初等教育の世界に入った謎、無計画なメルボルン移住など、これからゆっくりじっくりお話していこうかなと思います。くろねこ先生の波乱万丈物語、次回も是非お付き合いください!ー′失敗ばかりの行き当たりばったり人生だったからこそ自分の生き方が愛おしい’…最後にそう思える人生をおくりたい…と願うくろねこ先生でした。

 

こんなお話もあるよ!

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