青春篇1「いじめとバレリーナが教えた人生哲学」
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あなたが、ふと自分の人生を思い返してみた時、自分が主人公の話はどんなだろうって思い描いてみたくなるかもしれません。今夜もまた、眠りにつく前に くろねこ先生波乱万丈物語に付き合ってみませんか?くろねこの話を聞きながら、あなたも「あの時のあなた」にまた出会い、「なあんだ自分は自分でよかったんじゃない」なんて思うかもしれません。そんな自分再発見のんびり心の旅、ぜひ一緒にお楽しみください!
前回のお話、くろねこ先生波乱万丈物語第6話 「自由の森学園とオルタナティブ教育の申し子たち」(子供時代編最終回)はこちらからどうぞ
お絵かきと青春時代
私、くろねこは算数音痴と空想癖をキープし、自分の理想郷を守るべく他者への戦闘態勢を維持したまま、中学生になった。
中学生になっても、相変わらず机上の決まり事も、他者の気持も理解できず同級生たちからの評判もすこぶる悪く、学校の成績もちろん悪かった。が、自分が想像した様々な「理想郷」を好きな絵に描いて見ることで、自分の世界がどんどん広がっていった。お気に入りの空想時間は、結構いろいろなテーマで自分をワクワクさせた。
自分は絶対に習わせてもらえなかったバレエの世界を細かい描写で描いてそれをお話にしてゆくのも、お気に入りのひと時であった。素人がバレエの絵を描くには多少の知識も必要になるから、いろいろ調べてみなくてはならない。が、今みたいにGoogleなんぞ使って「ちょちょい」とすぐ情報が入ってくる時代ではなかったので、図書館に行っては、あまり誰も来ないセクションに、静かにひっそり「座っている」、金額的にいっても物凄い存在感のある大きなバレエの世界の写真集などを見つけては、全てのページを眺めてうっとりして過ごしたものだった。本の活字をきちんと読むようになったのも、たぶんこのバレエの本好きがきっかけだったかもしれない。
バレリーナへの憧れ
けれど、本当はバレエが好きだったというよりも(だいたい、バレエの生舞台なぞ観に連れて行ってもらえるような家庭ではなかった。)、バレリーナになるために修行しているダンサーの日常の世界に大変な魅力を感じていた。
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ソ連(今のロシア)の国立ボリショイバレエ団とか、イギリスのロイヤルバレエ団とかが、将来のバレリーナを育てるために、国中から優秀なバレリーナの卵たちを選りすぐって、持ち前のバレエアカデミーでプロダンサーを育てる。幸運にも選ばれた子供たちは、厳しい寮生活を送りながら、ものすごいハードな練習を日々こなしてゆく。当時はまだ厳密な社会主義国家であったソ連の名のあるバレエ団で修業をする子供たちは特に、「国家を発展させる人材」としてステイタス的にも経済的にも将来を約束されているかのようであったが、現実は凄まじく厳しかった。年に一度の進級テストに落ちれば、直ちに荷物をまとめて家に送り返される。家に帰れば、あの時代、ソ連が抱えていた経済難の中で、決して豊かではなかった中流階級家庭を支える両親をがっかりさせてしまう、という現実もあったという。なので、バレエ団の少年少女たちは、自分たちの「体創り」と過酷な日々の練習に魂の全てを集中させた。あるドキュメンタリーでは、彼らは、夕食が終わるとまたスタジオに戻って、夜の10時過ぎまで自己練習をする事も多いという事であった。ようく考えてみると、こういう状況の中では、本当の友達付き合いもできなかったのか知れない。だって、周りで 寝食を共にする「仲間」は全て、自分の人生の行方を変えてしまうかもしれない「ライバル」なわけである。
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どうして、私はこんなにバレエの世界に凝ったのだろうか?このお話を書いていたら自分でも疑問に思った。前回のくろねこ先生波乱万丈物語第6話では、「自由の森学園」のオルタナティブ教育が思春期が始まる頃の私にとってものすごい衝撃だったことについて話したが、このバレエの厳しすぎる世界は、それとはまったく真逆の「食うか食われるか」の世界に子供たちを放り込む、悪評たかき相対評価の世界ではないか。
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いじめと先生の好き嫌い
自分の話を自分で物語に描いておいてこう言うのもなんだが、もう一つ奇妙な事がある。一体、私っていう中学生を、誰が実は「バレエ好き女子」だったって想像しただろう?「何考えてるかわかんねえ汚い奴だ」ととなりの席で私を(当時学校では野放し問題にされていた)「いじめ」のマドンナに仕立て上げた羽生君(ここはぜひ実名を書きたいところが、どうしても思い出せない。きっとこんな名前であったと思う。全国の他の羽生さんには申し訳ありませんがこれを仮名にさせていただきます。)であろうか?それとも「おめえそんなの着て生意気なんだよ」って言って粋がった、当時流行りの「リンチ」を企てて私を階段下に呼び出したはいいが、先輩に見つかって「おめえ何やってんの?リンチなて100年早いんだよ!」と鼻で笑われて、ずこずこと帰っていった、これも名前が思い出せない…あ、思い出した「高野さん」…高野ひろみさんだ!( 全国の他の高野ひろみさんには申し訳ありませんが、ここはあえてこれを仮名にさせていただきます)だろうか。それとも、「くろねこ(当時の先生は生徒をみんな呼び捨てであった)は絵が得意だからクラス目標のポスターを作ってもらったら?みんなの目を引くように描いてよ。」と先生らしいことを言った、男子生徒から「可愛いまめたん」と言われて人気があった徳弘康代先生(仮名)かしら。
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この時私は嬉しくて一生懸命まじめにポスターつくりに取り組んだ。徳弘康代先生は私の青春時代の初めての担任の先生であったし、私は、国語の時間に情緒あふれる「自由一人旅」なる経験を話してくれる徳弘先生にものすごく憧れていた。徳弘先生の話を聞いていると自分がちょっぴり大人になった気がしたものだった。で、そんな想いで、先生に言われた通りに「みんなの目を引くような」なポスターをきちんと考えて描いてそれを見せた。
が、そのポスターを見て、学級会で全員がいる前で徳弘先生が言った初めの言葉は「うわあ、ちょっと目がちかちかする。字の色変えてくれる?」であった。こういうことが何度かあったある日、自分は「まめたん」に本当は好かれていなかったという事を感じ取った。「先生は子供を嫌いなこともあるんだ」と知った瞬間でもあった。「先生は、私の事が嫌いな友達が沢山いるのと同じように、どうしても好きになれない生徒や子供がいるんだ。」小さい頃から沢山の大人たちが自分の敵だと思ってきた私だったけれど、「学校中の生徒に好かれている先生」にも、嫌いな生徒が少なからずいて、それは自分だったという事実は、ちょっと言い表せないくらいに寂しかったし、切なかった。
「絶対味方でいてくれるはずの先生や親でさえ、味方なんかじゃないこともある」という世の中の事実を少しずつ感じ取っていた。
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何かにかけたい情熱
横道にそれたが、言いたかったのはつまり、こういう私の周りの敵人は、絶対に私が図書館に通ってまでバレエの本を読むくらい、バレエの世界が好きだったなんて想像しなかっただろう。「汚い」、「生意気な」、「うわあ」の私は、彼らにとっては絶対に「バレエの世界が好きな女の子」にはならなかった。
なんで私はあんなにバレエアカデミーの子供たちの日常の世界に魅せられたのだろう。自分でもちょっと謎である。
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しかし、だ。「あの厳しいバレエアカデミーの世界では、生徒たちは先生に愛されていたのだろうか?」と、ふと、そう思った時、私がバレエの世界にはまった理由が少しわかったて来たのである。
厳しくても、つらくても、「先生に嫌われているのかもしれない」と思っても、「大人に愛されていない」と切なくなっても、踊り子の卵たちには、それ以上に自分を愛してくれるものがあった。だから、頑張れた。彼らにとって「それ以上に自分を愛してくれるもの」は、「踊りが好きな自分自身」である。彼らには自分の人生を一生捧げたいと思うほどの、ダンスに対する想像を絶する想いがあり、この情熱は彼らを絶対に裏切らない。中学生になって思春期を迎えた私にとって、厳しいバレエアカデミーの世界は「人生で一番大切なことは、自分を裏切らない大切なことを見つけること」という想いに支えられた人生の旅路の始まりを、私に知らせてくれたのかもしれない。
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自分の周りにある小さな世界を敵に回し、自分の唯一無二の理想郷を守るために戦闘態勢を整えながら思春期を迎えた私は、 自分にも「何かに打ち込める情熱」を見つけることで、自分の大切な理想郷を守れるような気がした。あの大人も、この大人も、あの子もその子も自分を嫌いかもしれないけど、「それ」だけは、絶対に自分を裏切らない。「それ」だけは、絶対に自分を愛してくれる。私は、そんな「それ」に打ち込んでみたいと感じていたのかもしれない。だから、あんなにバレエに情熱を注ぎこむバレエアカデミーの生徒たちの青春時代に、あんなに憧れたかもしれないのであった。自分はバレエを習うことはできない、でも、自分にだって自分を絶対に裏切らない、打ち込める何かがあるはずである。
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自分を生き抜くの最強のマテリアル
つまり、私は思うのだ。私はラッキーであった。学校の成績も散々で、周りが自分や自分の世界をまるで理解してくれず物理的には孤独であった、が、私の想像力はいつも前向きで、新しいことにワクワクしていた。だから思春期をこんな風に自分を見つめ考えてみる時間にできたのであろう。
そして、私が中学校時代に見つけた「打ち込める何か」は演劇の世界であった。
次回のくろねこ先生波乱万丈物語は、後に私がメルボルンで幼稚園教諭になった時、自分の最強のマテリアルとなったこの「演劇の世界」について、またゆっくりお話しを始めてゆきたいと思う。
皆さん、またぜひ遊びに来てください。
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