くろねこ先生波乱万丈物語 第6話

自由の森学園」の衝撃シグナルとオルターナティブ教育の申し子たち

あなたが、ふと自分の人生を思い返してみた時、自分が主人公の話はどんなだろうって思い描いてみたくなるかもしれません。今夜もまた、眠りにつく前に くろねこ先生波乱万丈物語に付き合ってみませんか?くろねこの話を聞きながら、あなたも「あの時のあなた」にまた出会い、「なあんだ自分は自分でよかったんじゃない」なんて思うかもしれません。そんな自分再発見のんびり心の旅、ぜひ一緒にお楽しみください!

くろねこ先生波乱万丈物語 前回のお話 「グランドキャニオンから落下したチョークの行方」はここをクリック

 

お絵かきで想像力発動

「リカちゃん人形」と「チョーク」は前回のお話で、もう思い出のカバンからだしたので、今日は最後の「鉛筆」を思い出のカバンから取り出してみたいと思う。

子供の頃の私、小さなくろねこが自分の想像した小さな世界を自分の唯一の理想郷として守り、その想像力を尚且つ活発に発動させてゆくためのもう一つの道具は、鉛筆であった。

鉛筆で何をするかって、そりゃあ、お絵かきに決まってるんだけど、今にして思うと、ずいぶん面白いものを書いていたなあと、自分でもちょっとびっくりするのである。私は絵を描くのが大好きで、一人でいるときはいつまでもいつまでも描いていた。

私は、ちょっとあの時代にすると今ほどには理解されていなかった喘息持ちの子供で、しょっちゅう学校を休んでいた。今みたいに手軽に持ち歩く吸入薬があったわけでもなく、夜中に発作が起こる度に、親は起きて車を走らせ私を病院に連れて行かなければならず、親の負担は大きかっただろう。それに加えて私は算数嫌いで感受性の強い短気な子供だった(くろねこ先生波乱万丈物語の今までのお話を参照)ので、母親には「この子には手をやいている」感がすごくあったのかもしれない。

けれど、私が絵を描いているときだけは、それを見る母親のまなざしは優しかったように思う。私の喘息はひどかったので、学校をしょっちゅう休んでいて、できない勉強もさらにできなくなった。が、学校を休んでる間は日当たりのいい2階の部屋でいつまでも絵を描いていて、誰と争うこともなく、自分の想像の世界にどっぷりつかれる、平和で素敵な時間であった(その後学校に戻るのが毎回戦争であったが)。母親もそんな一時はとりあえずほっとしていたのかもしれない。

さて、鉛筆で何を描いていたかという事であるが。まあ、もちろん一番好きだったのは人物を描くことであったが、特に「素敵な才女」を描くことである。この才女のいる舞台は現在という事はあまりなく、どういうわけだか「昔の西洋」であった。

これは昔、子どもたちを魅了した「ハウス食品 世界名作劇場*」や「ベルサイユのばら*」 とか「キャンディキャンディ*」などのテレビアニメの影響もあったのだろうが、とにかく「古き良き時代のボリューム満点ドレス」の時代…に生きる「時代の先端を生きた女性」にひどく憧れていた覚えがある。ポンパドール夫人とか、サロンとか、エカテリーナ2世だとか、こうゆうのは高校生になってからだったかもしれないが、そんな池田理代子*の世界に憧れた思い出もある。無類の漫画好きであった姉のを隠れて読んでいた影響もあったかもしれない。

Photo by Jared Subia on Unsplash

そういう類の絵を,時代背景を確認しながら何枚も何枚も描いていたので、絵を描く事は得意となったし、歴史も好きになっていった。絵を描くことは、まあ、私の人生の一番初めのポジティブな経験だったのかもしれない。絵画好きは、後に幼稚園教諭になって大変活かされたと思う。

面白い特化性を生んだお絵かき

が、私が小さい頃描いていた「ちょっと面白いもの」というのは、この「昔の才女」ではない。前回のくろねこ先生波乱万丈物語でお話したチョークの家の間取りと同じように、鉛筆でも自分の理想郷を間取りにして書くのが好きであった。で、これが中学生のころになると、もうちょっと面白い特化性を生み出したのである。

それは、「学校を創る」というお絵かき遊びである。あんまりはっきりと詳しいことを覚えているのではないのであるが、描いてる本人も「自分ってちょっと面白い」と思ったのが印象に残っていたので、覚えていたのかもしれない。はっきリ覚えていることもあって、そのことを今回ここに描いてみようと思う。

それは「自由の森学園」という学校が存在していて、この学校の響きに、中学生の頃だったが、物凄い憧れの念を抱いた。「自由の森学園」という子どものやりたい事を自由にやらせてくれながら他のことも勉強する、というのをテレビのニュースでやっていて、それが私の耳に入ってきたのである。それがどんな学校なのかと思い巡らせた時、私はすっかリ魅了されてしまったのである。そして、その思いめぐらせたことをすっかり自分の「理想郷」にしてしまうと、その理想郷を元に自分で「そういう学校」を新しく想像して絵に描いてみた、というわけである。

まず、学校は素晴らしい自然の中にある、教室は教室じゃあなく「みんなの部屋」という感じで、青空教室もある、動物もいる…あんまり細かいことは覚えてないがそんな感じでどんどん想像してゆく。さらに間取り図を描く。廊下はユニークな曲線になっていて、教室は一つ一つバンガローみたいで…。

それから「学校での一日」を描いてみてたり、先生のチームを描いてみたり、校長先生の言葉なんてのも書いたかもしれない、学校のホームページさながらである笑。

…この記事をここまで書いて、「自由の森学園」なるものが本当にあったのかという事をちょっと調べてみたくなった。

Photo by Chang Duong on Unsplash

……………ああ!あった!いきなりあったのでちょっとびっくりした。すごい時代だ。36年も前の思い出が一瞬にして現実味を帯びてしまった笑。

自由の森学園公式ホームページによると、この学校は1985年に設立された,とあるから、私が14歳の時にできたのだろう。画期的だったのでその時ニュースになったのかもしれない。公式ホームページの「学校の理念」の冒頭としてこう書いてある。

自由の森学園中学校・高等学校は1985年、明星学園小中学校の校長であった遠藤豊らを中心に、点数序列主義に迎合しない新しい教育をめざして設立されました。その理念の支柱となったのが、数学者遠山啓の教育論です。彼は、一人ひとりの違う個性をもつ子どもを伸ばしていく教育をすすめるうえで、広く学校教育に浸透している競争原理は妨げになると考えました

これだ、これだ。中学生の私はきっと、こういうような説明をニュースで聞いた時、「個性をもつ子どもを伸ばしていく教育」の部分にものすごい新鮮な響きを覚え、強い衝撃を受けたのかもしれない。当時このような学校は本当にごくわずかだったのだと思う。勉強にも社会にもうまく適応できずに、みんなを敵にして、想像遊びばかりしていた私に、入学できない(私立の学校に入れてもらうなんて到底無理だった)けど「こんな学校がある」という事実がわかっただけでも、救いのように思えたのだろう。そしてさらに多感期になっていた私には、「そういう学校」がまた自分の理想郷になっていったのに違いないのである。

この「自由の森学園」はその後、その教育理念をつらぬき、そのメッセージをさらに育んできたのだと思う。だからこそ、現在その情報もネット上に詳しく出ていて、今では何人かのアーテストも世に送り出しているようだ。賛否両論はもちろんあるが、それはどんな新しい教育理論を取り入れる時も同じである。。

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夢のオルターナティブ教育

今ソーシャルメディアをのぞいてみると、日本でもオーストラリアでも他の国でも、たくさんの教育に携わる人が、「自主性を重んじる教育」を実践するにはどうすればよいのか議論を交わしているのが分かる。私は、この「自由の森学園」を初めて見てから数年後に、初等教育を勉強することになるわけであるが、そこでこの自主性を重んじる教育のいくつかに出会い、そしてまた、実は日本はそのような教育を取り入れようとしてきた歴史が大正時代からあったということも学んだ。

またそこからさらに数年後には、海外の土地でたった一人の息子うさぎ君を授かり、お金がなくてどうしようもないのにもかかわらず、「どうしても」と入れた小学校が、この「自由の森学園」と似た教育理念を持つオルターナティブ教育*の学校であった。 「自主性を重んじた学校」に対する私の執着は、今にして思うと この「自由の森学園」で受けた衝撃が始まりだったのかもしれない。

そして それはさらに、私のその後の幼稚園教諭の仕事へと深くかかわったいった訳なのである。

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私が今思うのは、もし、自分が勉強ができ、自己規制のできる、いわゆる「普通の子供」だったら、きっとあの時「自由の森学園」という言葉の響きに共鳴しなかっただろうし、その後幼児教育に真剣に携わることもなかったように思うわけなのである。 人生っていうのは不思議だなあと思うのだ。

次回からは、演劇に情熱を燃やした青春時代のお話に入ろうかと思う。

またぜひ次回も「くろねこ先生波乱万丈物語」をのぞいてみてください。

 

参考資料 自由の森学公式ホームページ;https://www.jiyunomori.ac.jp/,

注釈

オルタナティブ教育; 非伝統的な教育」や「教育選択肢」とも言い、主流または伝統とは異なる教授・学習方法を意味す (Source : ウィキペディアWikipedia, Aug.2021)

*ハウス食品 世界名作劇場;日本アニメーション制作のシリーズ アニメ番組1975年からフジテレビで放映 * ベルサイユのばら 1979年 テレビアニメ番組 日本テレビで放映 * キャンディキャンディ 1976年 テレビアニメ番組 テレビ朝日で放映 *池田理代子 日本の漫画家 ベルサイユのばら 著者

 

こんなお話もあるよ!

2 Comments

  1. 面白かったです。メルボルンでオルタナティブ教育をしている学校というのはどこの学校のことなのでしょうか。教えていただけると幸いです。

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