オーストラリアのパワハラ上司

州の幼児教育の権威の一人でもある、くろねこ先生の今回の転職先の幼稚園長は、あらゆる魔法の言葉と女神の笑顔で先生たちを自由自在に操るとんでもないカリスマ魔女オバンであった(前回のお話はこちらから)

魔女オバンの夢見る「子どもの楽園」は全て「子供が中心」が鉄則である。なので、子どもの「やりたいっ」(主体性)は尊重されなければならないが、先生の教師としての「やりたいっ」(主体性)は全くと言っていいほど尊重されていない。

これからの時代を生きる子供を教える幼稚園教師たるものにとって、「子どもの主体性の重視」思想は尊い。が、じゃ、どれが子どものそれでどれが先生のか、って話になると、今回のくろねこの転職先ではそれはもうすべてが魔女オバンの物差しできまるわけだ。「子どもたちがこんなことに興味があるのでグループでそれを一緒に探究していきたい」と決めて準備をしていても「それはあなたがやりたいだけよねえ?」という。出た、出た、魔女オバンお得意なオバン物差しである。「私思うんだけれど、子供たちの興味は違うところにあると思うわ。」と言って女神のような微笑で決め込んだならば、後は「手」しか出てこない。瞬時に怖い形相に化けるとあとはもうは無言で、先生がすすめてきた準備を一瞬でかたずけてしまう。

が、「子どもに朝ちょっとしか会わないくせになんでそんなこととわかるんだよっ」と反論して悪態をつくのははもちろん命知らずだ。こういうことは日常茶飯事で、魔女オバンに従わなければ恐ろしいことになると誰もがわかっているから、みんな沈黙を決め込む。だけど、なにかがぜったいにおかしいのだ。機能していないのだ。

パワハラ園長の恐ろしい野望と魔法

「ベシーのボスはいったい誰よっ?Who is the boss of her?」とくろねこはオバンの休暇の最後の日にキャンデイ ホワイト(仮名)に聞いた。キャンデイーというのは、魔女オバンが休暇中をいいことに毎日ボス部屋で大いにくつろいでいる、魔女オバンの側近である。キャンデー の肩書は「ペダゴジカルリーダーPedagogical Leader」と言って、つまりこの施設の教育プログラム全般の責任者である。 

くろねこ先生が働くこの統合型乳幼児施設(詳しくはこちらから)のサービスは、実はここ数年の間に、あっという間に魔女オバンの壮大な魔法にかかって拡張し、くろねこが働く本部の施設の他に5件の乳幼児施設が加わった。これらの施設は全て利益追求型のカンパニーではもちろんなく、市管轄の公立施設である。にもかかわらず、「買収,吸収、合併」なんていうのがざらに起こる。これがオーストラリアという国である。

魔女オバンは「子どもの楽園」を作りたいという自らの野望に従って、そのずば抜けた専門的知識と人の心を虜にする魔法の言葉を操って、近所に「(たぶん魔女オバンにいわせると)転がっていた」公立幼稚園を適当に6つ選んでササツと買収してしまった(正確に言うと、非利益団体による運営委託型の幼稚園(って何?)の運営権利をその団体から買い取った、ということになる)。まさしく、大御所魔女の手腕である。これを理由にしても、これだからもう、魔女オバンに逆らえるものは誰一人いないわけである。

そしてもちろん、これらの全て幼稚園で魔女の目指す果ては、じゃじゃ~ん、まぼろし(笑)の「空間の開放」思想である(詳しくはこちらから)

一応、前回の話をまだ読んでない読者のためにちょっと書いておくが、「ドアの開放」思想ってのは、つまりその名のごとく施設内にある教室、ダイニングルーム、園庭と、全てのドアを一日中開放するという教育方法論の一つだ。子どもはいつでもどこでも自由に動き回れる環境の中で遊び、学ぶという、成功すりゃあノーベル賞もののとてつもなく素晴らしい「お考え」である。ふざけているが、それは本当である。だが、オバンのそれは「成功している」というのには程遠い。

教育責任者の苦悩とジレンマ

とにかく、キャンディ ホワイトとは、オバンが買収したそれら5つの施設と本部の計6つの乳幼稚教育プログラムの責任者であり、この役職は ま、大きいと言っていいだろう。

話を元に戻そう。そのキャンデイ ホワイトに、オバンの休暇の最後の日に、くろねこは聞いた。オバンは明日帰ってくるわけで、オバンの話をするなら、もう今日しかない。くろねこ、ここで働き始めてたった7週目火曜日の午後のことである。

くろねこは、自分が子どもを教えるにあたっての、このひどい環境設定のシビアな問題点について一通りぶちまけた後、決定的な質問をした。

「ベシー(魔女オバン)のボスは一体誰よっ?Who is the boss of her?」

読者の想像を助けるために一応書いておこう、オバンはちょっと小太りの物腰の優し(そうな)柔らかい印象で髪の毛は栗色のフェミニンカットである。が、本当は魔法使いなので度々豹変する。キャンデイは宝塚の男役の花形のようなボーイッシュなブリティッシュである。ショートカットの金髪でものすごく背が高いし声も低音だが、どちらかというと優しくておっかさんタイプだ。二人とも53歳のくろねこより数年年上で、愛する孫もいる。

そのキャンデイは、(すべてが自然素材の装飾品、無数の本とキャンドルに囲まれた本当の魔法使いの家みたいな)オバンの部屋の大きなビンテージ物の机の椅子にゆったりと足を組んで快適そうに座っている。ちなみにくろねこは頭から湯気を出して机の前に仁王立ちになって話をしている。座ると気落ちするので、くろねこは大体いつも戦闘態勢を崩さないよう仁王立ちで話すことが多い。

 キャンデイはちょっと面白そうとういうような顔でくろねこを見上げると言った。

「彼女のボス?それはさ、ボードメンバーよ。」

ボードメンバー、つまり理事会というのは、市またはコミュニティが選抜した有識者の集まりでマネージメントを監督する怖いお偉方の集まりのことをいう。月に一度施設の視察にきて魔女オバンと会議をする。

「ふうん。じゃキャンデイ、その理事会に直接話すことできないの?」

「ダメダメ。彼らとはベシーしか話せないの。あたしも一度も話たことない。」

「ええっ、何でよ。」

「ベシーはもうここで10年やってんのよ。言っとくけどボードメンバーだってベシーに何も言えないよ。ベシーがこの施設を大きくしたんだから」

一体、10年勤務なんて言うのは日本では「長くやってる」っていううちに入らないだろう。20年ものの建物でさえも「歴史のある建物です!」なんでメガホン使って宣伝するようなこの国では10年勤務は国宝級である。それに「大きくした」ってたって、たかが1つの施設を6の施設にしただけだ。本田宗一郎がこれを聞いたら空の上でけらけら笑うだろう。

が、キャンデイは優しいおっかさんタイプだけに、ちょっと腰が引けているところがある。ペダゴジカルリーダーなんて言うたいそうな役職についているんだから、少しは「正義の味方っ」とか言ってスタッフを魔女から守ってくれてもよさそうなものである。が、将来魔女オバンの椅子を狙っているだろうキャンデイには、そんなことは恐れ多くてできないのだ。キャンディもたびたび魔女オバンの巧みな話術に「やられている」恐ろしい様を、くろねこはオフィスの中で何度も目撃している。キャンデイが一番魔女オバンを恐れているのかもしれない。

パワハラ上司への宣戦布告の準備と陣地配分

ところで、ここで読者はてな?と思ったかもしれない。なぜくろねこがこんなに赤裸々と魔女オバンの側近にオバンに対する不平不満を言えたのか。魔女オバンの部屋は常にドアが開けっぱなしで話声はいつも隣接する我々のオフィスに筒抜けである。他のマネージメントチームもオフィスでデスクワークをしている他の先生たちも聞き耳を立てている。魔女部屋で誰かが魔女オバンに打ちのめされている声もライブ中継そのものというありさまである。なので、その時もくろねこがキャンデイと話していたその内容は全てオフィスに流れていた。

じゃ、「理事会に魔女のやっていることがいかによろしくないかを話したらいい」なんて、だれかに告げ口されたら一環の終わり、絶対に魔女に「動かない石」にされるかもしれない恐ろしいことを、なんでくろねこは堂々と魔女の側近に話ができたのか。

実はくろねこ、魔女オバンの休暇中にすごいことを発見してしまったのである。それは、くろねこの他のすべての先生はもちろん、保育士さん、母子保健相談室のナース、厨房の調理師からオフィスにいるマネージメントチームに至るまで、魔女オバン以外のスタッフは全員、本当に全員、実は「こちら側の陣地」にいたのだ、というすごい発見をしてしまったのである。

これは、くろねこが一人一人と交流を深めながら確かめたことなのだが、その会話の中で、大抵はちょっとこちらが「(魔女の下で働くのは)チョット大変だよねえ…」という感情を漂わせると、それに対して相手が「そう、そう、本当にそうなの!」となり、後はそれまでの我慢していた魔女への不平不満があふれ出す、とそういったパターンであった。

キャンデイにいたっては、もうはじめから「自分は本当はベシーに対して不満を持ってます」という匂いをぷんぷんさせていた。キャンデイは我々のオフィスから離れたところに自分だけの小さな部屋をもっているが、そこだけは安全であるので、オバンの休暇のが始まる前はこの小さな部屋でキャンデイと話していた。

こちらが涙目になって「幼稚園教師になって23年、こんなひどい扱いをされたのは初めてだッ」とキャンディーに訴えると、彼女は「でも、あたしはそんなことしないよ。」と困惑して訴え返してくる。「あたしはいつも先生たちのやりたいことをを尊重してるわっ」なんていう。何度もこういう会話があった後、キャンデイはついに「それはあたしがそうなんじゃないよ、全部ベシーがやってることよ」というので、しびれを切らしたくろねこは、もうこう言った。「じゃあ、いいよ。キャンデイは自分はそんなことしないってどうせ言うんだから、もう言うけど、ベシーがやっていることは間違ってるっ!」と息を切ってくろねこは言った。すると、キャンデイは深くうなずいて、なんと「ああ、やっとそう言ってくれた」とでも言いたげに安らぎの表情に変わったのだ。

魔女の側近キャンデイは、確実にこちら側の陣地にいた。

裸の王様との戦闘準備は笑いを武器に

とまあ、くろねこはこの辺までで、だいたい「陣地の配分」がわかってきていたが、それを確実に裏づけた決定打を見たのは、オバンの休暇ももうすぐ終わりという日の午後のことである。

柔らかい春の光のさすオフィス(職員室と言ったほうがイメージがわくかもしれない)は、その日の午後、みんなのたわいのない冗談の連発と笑い声であふれていた。みんなが心からリラックスしていた。どう考えてみても、それは「魔女のいない空間」をだれもが楽しんでいて、同時に来週からまた魔女オバンに打ちのめされるだろうという不安を笑い声で蹴散らそうという、そういう光景であった。ま、ちょっと異様な光景でもある。普段ひたすら仕事に打ち込むくろねこも、その日ばかりはブラックジョークを連発した。これにも見んなげらげら笑った。何をやるのでもベシーの口調をまねしてはみんなで笑い転げ、わざとベシーに怒られるような事をして「ベシーに言ってやろう!」言い合ったり、なんでも不都合なことを見つけると「それは全部ベシーのせいだ」と言ってはみんなで涙が出るほど笑った。

魔女オバンを除いて、本当に全てのスタッフが、実はずっとこちら側の陣地にいたのである。けれど、一度オバンが休暇から帰ってくれば、そんな感を一瞬でも漂わせることは許されない。みんな、緊張の紐を再び締め直す前に、痛くならないように完全に緩めたのである。でもそれももう終わりにしなければならない。来週、彼女は帰ってくるのだ。

くろねこの話を聞いて、「あは、つまり裸の王様だったわけだ」と、そう夫ののび太君は言って笑った。例によって仕事から帰ってきてばかりののび太君をひっ捕まえてワーワーと近況報告をした時のことだ。のび太君は結婚してから30年間いつもくろねこが引き起こす人生のひっちゃかめっちゃか奮闘を生のライブで楽しんできた。くろねこの奮闘話をだれよりも楽しんでいる不謹慎な夫だ。だが、のび太君の楽天的な言葉はいつも私の心を和らげてくれる。それにしても、「裸の王様」とはうまいことを言ったものだ。この形容はまさにぴったりかもしれない。

パワハラ上司戦争出戻り合戦

陣地配分を把握できたオバンの休暇中に、くろねこは作戦計画に取り掛かった。説明しよう。

その前にまず簡単にこの話から。くろねこがここで仕事を始めて2週間たった日こんなことがあった。「こういうことを改善するにはどうすればいいか」と重苦しいミーテングに呼ばれ,  責任を押し付けられるように問い詰められた。それで1週間かけて熟考した後「こういう風にすりゃあ絶対うまくいく」という、くろねこ23年の教師経験と英知が凝縮されていた(笑)素晴らしい計画書を提出することにした。

するとオバンは「あたしじゃなくてキャンデイに提出して」というから「じゃあ見せない」とオバンの口調をわざと真似て冗談を言ったら「ぎゃははっ」とオバンは不気味につくり笑いした。本当は「なんだ読まないんかい」と頭にきたが、「って事はキャンデイに任せさせて口出ししないってことか、そりゃいいや。」とかってに解釈して、機嫌よく言われた通りにした。キャンデイに提出すると、彼女はは家に持って帰って熟読してくれ「いいわねえ、素晴らしいわ、さっそくやりましょう」ってので、次の日早速やり始めた。

言っとくが、くろねこはやると決めたら即体を動かすたちだ。ドタバタッと始めて一気に仕事を進めた。そしたら、だ。長い廊下の果てから魔女オバンが血相を変えてやってきた。歌舞伎の女形が「あんさん、どこぞえ?」と身をよじらせて歩いているのにそっくりだ。オバンはそのまま歌舞伎仕様で「ダメダメ、私たちが今までやってきたことを壊さないでちょうだい。」と、女神の笑顔を突き付けて首をドラマチックに振った。何を言うか、オバン、「私たちが今までやってきたこと」はだれが見ても機能していないんだ。「大体、文句言うんなら、はじめから自分で計画書読めよっ」と喧嘩口になりそうだったが、キャンデイも相当に怒られたのか顔を青ざめて後ろから追いかけてきて、くろねこがやっていることを止めに入ったので、こっちもしぶしぶ中断した。キャンデイも実にバツが悪そうだっが、オバンの側近という立場を失うわけにはいかない。

結局キャンデイは「少しづつやっていこう」と後からくろねこをなだめた。

それから数週間後にオバンの休暇になったってわけだ。そこで、その時一度ボツになったその計画を、「魔女オバンが休暇中に取り掛かってしまおう!」という事になったのだ。くろねこ、オバンのとこで仕事を始めて6週目の月曜日のことである。キャンデイの助けもあって、「魔女オバンが休暇から帰ってくる前に一つでも変えてしまおう!」という事になったのである。魔女オバン以外のスタッフは全員こちら側の陣地にいて、魔女オバンは実は裸の王様だったという事が判明した今、戦闘態勢を整えるのに絶好のチャンスであった。

キャンデイと他のマネージメントチームを巻き込んでの、くろねこの魔女オバンに対する宣戦布告であった。

魔女オバンがどう出るか、ちょっと好奇心もあった。とにかくやることはやって魔女のお帰りをお待ち申し上げることにした。

ところが、だ。魔女オバンは休暇を突然延長したのである。

(次回「くろねこ先生幼稚園奮闘記第5話」に続く)

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読者の皆様へおことわり; このお話は、くろねこ先生の実際の職場での体験を一部参考にして作られていますが、お話に登場する人物や施設はすべて架空のものです、あしからず(笑)。

こんなお話もあるよ!

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