The Assessment and Rating

日本の幼稚園でできるの?やろうよプロジェクト型学習、子供が主体の学びの冒険~ドキュメンテーション編 虎の巻第5巻「オーストラリアの怖~い監査とドキュメンテーションのお話 」です!この ドキュメンテーション編 虎の巻では、9巻を10回の記事に分けて、プロジェクト型学習には欠かすことのできないドキュメンテーションの役割とその取り組みについて読者の方と一緒に考えています。まだ前回の記事を読んでない方はこちらから!

他にはない深掘り思考の旅、気楽で呑気なのに真剣でかつ情熱的、とってもユニークなくろねこ先生のオリジナル、最後の巻までゆっくりとお楽しみくださいね!こんな感じでやってます!

  1. 一の巻 ドキュメンテーションっていったい何?なんで英語よ?( この記事を読む
  2. ニの巻 ドキュメンテーションってどんなもの?Part1 ( この記事を読む)
  3. ニの巻 ドキュメンテーションってどんなもの?Part2 ( この記事を読む)
  4. 三の巻 プロジェクト学習とドキュメンテーションの二人三脚の旅( この記事を読む)
  5. 四の巻 くろねこ先生のドキュメンテーションちょっとお見せします(この記事を読む)
  6. 五の巻 オーストラリアの怖~い監査とドキュメンテーションのお話 (今回はこの記事!)
  7. 六の巻 実は日本幼稚園教育要領さんは一番大切なパートナーだった!(この記事を読む
  8. 七の巻 どうやって日本の幼稚園で実践できる?指導計画に組み込まれたドキュメンテーション(この記事を読む)
  9. 八の巻 「こういうことする時間くれんならやってもいいよ」先生たちの時間戦争と勝算 (この記事を読む)
  10. 九の巻 「やらなきゃ実践」から「やりたい実践」への楽しい脱皮 「ああ、先生やってて良かった!(この記事を読む)

日本の幼稚園でできるの?やろうよプロジェクト型学習~子供が主体の学びの冒険シリーズ~では幼稚園のプロジェクト型学習について、メルボルンの幼稚園を拠点としたくろねこ先生の実践例を紹介させていただいています。シリーズの初回記事のリンクはこちらからどうぞ.

それでは…今日のテーマに行きましょう!

今回のお話は…

「オーストラリアの怖~い監査とドキュメンテーションのお話」だよ

前回の記事までで、幼稚園でのドキュメンテーションが一体どういうもので、実際にどんな風に実践できるのかを、いろいろな側面から読者の皆さんと深堀考察をしてきました(まだ前回までの記事を読んでいない方はこちらをクリック。で、もう私の頭もパンパンになってしまいました笑。

「頭パンパン…」
Photo by Matthew Henry on Unsplash

今回はもう少しリラックスしてですね、私が働いていたメルボルンの幼稚園や保育園にDepartment of Education and Training(日本でいう文部科学省)の監査がやってきたときの笑っちゃうハラハラ体験談を皆さんとシェアしちゃおうかなと思います。私たち教師が携わるドキュメンテーションがこの怖~い監査の時には、いったいどんな意味を持つのでしょう?

監査って何?The Assessment and Rating

私がここでいう「監査」とは ‘The Assessment and Rating’(評価とランク付け)という代物で、日本語の訳を見るだけでも全くもって滑稽であんまり露骨な英語なので思わず「ぶっ」と吹き出してしまいそうです。つまり、幼稚園や保育園の(サービス)の評価とランク付け、っていう意味になるわけですけど「ランク付けしてどうするん?」ってまた悪態つきたくなります。

「ランク付けしますよ~」
Photo by Andre Taissin on Unsplash

この監査The Assessment and Rating が自分が働いている幼稚園にもうすぐ来ますよ、という通知をもらうと、教師や保育士たちは「 評価とランク付けが来るんだって、大変!」と慌てふためくわけです笑。保育園だと特に園長先生は青ざめます(苦笑)。

「は~い、いっぱい決まり事あります!チェックしますよ~あなたのライセンスは大丈夫ですか~?」
Photo by Thandy Yung on Unsp
lash

つまりは2~3年に一度、州の文部科学省(みたいなところ)の「評価とランク付け」をする専門家 ‘Assessor’,アセッサーというのが威厳をもってやってきて保育園や幼稚園の経営に関するありとあらゆる記録が、法律が定めるところにきちんと準じて行われているか、それが運営向上に役立たれているのか、そして保育や教育が実際にどのように実践されていて、それが子供の学習や発達を健全に促しているのか、そんなところを全て観察されチェックされ、その結果をもとに優良劣のランク付けをされちゃうわけです。

オ∸ストラリア教育省の鼻息まじりの野望(笑)

このランク付けのオーストラリア政府の一番の狙いは、言うまでもなくこれによって保育園幼稚園の質の更なる向上を目指すことにあります。このランク付けを参考にして親は自分の子供の幼稚園や保育園を選べ、また保育士や教師も就職や転職活動などで園を選ぶ際のめやすに出来ます。

「どれにしようかな。。。?最近オーストラリアの保育園選びは選り取り見取り!」
Photo by Alexas_Fotos on Unsplash

人口増加、母親の就業率拡大に伴う保育施設の増加という現実的な理由ももちろんあります。が、新大国オーストラリア政府の本当の狙いは、この国の確実な高度経済成長とそれに伴なう豊かな生活水準を維持拡大してゆきたいというところにあるように思います。

「一回お金持ちになったらそこから降りれないのが人間(笑)」
Photo by Mathieu Stern on Unsplash

国の人材に関しても、母親たちの社会進出をサポートして経済を潤すという理由に加えて、ヨーロッパに引けを取らない高水準な教育を初等教育から定着させることで、より優れた人材を育てて国の技術を華やかにさせたい(そしてそれによってさらにお金を作り国を豊かにする)という野望があるわけですね。

私が何でこう思うかの裏付けはいろいろありますが、ま、初等教育に関していうと一番は「急速すぎる改革」です。

鼻息まじり改革の直前ストーリー「発達の5領域」お局思考

じゃあ、その改革ってっていうのは一体何だったのか、ってのをお話しします。

私が、息子が小学校に入学たのを機にこちらで幼稚園教諭として復帰した2001年には、日本の先生方はびっくりするでしょう、国の教育指針なるものは存在せず、幼保育園の教師たちは「発達の5領域 」というマニュアル概念を頼りに、っていうかそれだけを勉強して子供を教えてりゃあ、何とかなったわけです。

「発達の5領域は機械的に並んで座っている」
Photo by Nick Fewings on Unsplash

ちなみに「発達の5領域 」ってのはこうです。

  1. Cognitive Development 認知能力の発達
  2. Social and Emotional development 情緒と社会性の発達
  3. Speech and Language development 言語の発達
  4. Fine motor development 手の発達
  5. Gross motor development 身体の発達

この 発達の5領域っていうのは「誰それの理論」ではなく、近代の総括的な幼児発達学研究が結論づける一般的なもので、ま、どこの国にも似たような概念があるんでしょうが、私には、この概念定着はちょっと滑稽に感じました。

ギリシア人おばさんとヤングガールトレーナーの戦い

私が、初めてオーストラリアで幼稚園教諭として働き始めた2000年ころ、こういうことがありました。

あるトレーナーシップの保育士さんのたまご(職場でのサポートを得ながら保育士資格の勉強をしている)が、ある段階で実践テストがあり、外部のトレーナーが保育園にやってきました。実践テストが終わり、その後、事務所から彼女とトレーナーの会話が聞こえてきました。トレーナーの質問にたまご彼女が一生懸命答えているようです。小さな保育園でしたので教室の私にも聞こえてきます。

彼女;「… だから、なんて言えばいいの… ほら、例えば、ある子がパズルをやってたとして、どこにピースがハマるのがわからなくて…他の子供が来て手伝おうとして…」

と、彼女がそこまで言ったところで、そのちょっと威張ったトレーナーがすかさずこう言います。

威張ったトレーナー;「だけど、パズルは社会性の発達じゃないじゃない!」

日本の先生方、これどういう会話だかわかります?ちなみにこの保育士たまごの彼女は40歳ぐらいのギリシャ人でしたが、中年層の移民女性が職を得るために保育士資格を取るのはオ-ストラリアではこの時代も現在も珍しくありません。トレーナーはというと、あの時代はまだまだ白人系(失礼してこう書かせていただきます)が一般的で、この人ももれなく若い白人のヤングガールでした。

写真はイメージです最近はこうしたヨーロッパ系オーストラリア人の若い方は、ものの見方が柔軟で、良識がある方のほうが多いです
Photo by Jade Destiny on Unsplash

オーストラリアは、皆さんご存じかどうか、悪名高き白豪主義国家と言われる暗黒時代がつい1970年中期まで続いており、2000年に入って表向きは平等であっても、人々の間には多文化多言語のインクルーシブ意識はまだまだ根づいていませんでした。また「白人」であっても、英語のしゃべりが純でなけれは自分たちとの間に線引きをし、それがつい態度に出る、そんな時代でした(これはまあ、今でもありますが)。

さっきのパズルと社会性の発達の話に戻りますが、つまりこのヤングガールトレーナーはギリシア人彼女に子供の発達領域の一つである「社会性」を促す遊びについて質問したのだけれど、ギリシア人彼女がパズルを挙げたので、それは社会的発達とは関係がないと言っているわけです。ギリシア人彼女の方が人生の先輩でしたが、そんなことはオーストラリアでは全く意味を持ちませんし、話し合いはもちろんヤングガールトレーナーの威圧的態度の圧倒的勝利です。

「圧倒的勝利!」
Photo by Jimmy Conover on Unsplash

ギリシャ人の彼女はきっと、「子供が助け合って一つのパズルを完成させる事も社会性の発達を促すことになる」と言いたかったのでしょう。これは間違っていませんね?ちなみに、トレーナーの固定概念は「パズルはあくまでも認知能力の発達にかかわる遊び」だったんでしょう笑。

「発達の5領域」というの頑固な概念

もう一つ例を挙げてみると、さらに滑稽な「Fine motor development 手の発達」。私が驚いたのは子どもの工作や制作活動がすべてこの「手の発達」という領域に紐づけされて考えられていたことです。例えばこうです。「紙皿でお魚を作る」という計画を立てたら、その主目的は「手の発達」となるわけです。ハサミを使えるか、クレヨンをきちんと握れるか、とこういう話になっちゃうわけです

Photo by Sigmund on Unsplash

問題すべき点は、皆さんも感じたと思いますが、この「発達の5領域」というの頑固な概念でした。トレーナーでさえも、子供の遊びの一つ一つの意味を「発達の5領域」の一つに理由付けようとするこの単純さ笑。

つまりですね、2000年代になってもオーストラリアの幼児教育は、この「発達の5領域マスターで何でも解決!」という概念に胡坐をかいて、かなり遅れていたわけです。さらには、繰り返しちゃうけど、「発達の5領域」というのは国の教育指針ではなく、あくまでも一般的な幼児教育の概念です。「国の教育指針」なんて存在はなかったわけです。

「ついてこれないヤツはついてくるな」新幼児教育指針Early Years Learning Framework!

さあ、このお局概念に、政府の経済的野望も入って(たかどうかはホントはわからないけど)かなり鋭いメスが入ったのが、忘れもしない2009年です。

正直言って、歴史のある国に比べると、新大陸の革新を起こす行動力はぶっ飛んでいます。「でも今までこうだったんだから…」とか「今のままで快適だし…」とか「新しい事をやったら失敗するかも…」とか、そういう感覚は怖いもの知らずの新大陸にとっては全くもって意味をなさないわけです。「やってみなきゃわからない」というよりは「やらなきゃどうする」の感覚。一人一人の個人感覚としては保守的ってことはあっても、そこを強行しちゃうのがオーストラリア。

「ついてこれない奴はついてくるな!ハハ!」
Photo by Andrea Leopardi on Unsplash

つまり2009年に初めて国の教育指針たるものEarly Years Learning Frameworkが発表されて、これによって全ての事が嵐のようにすごい勢いで変わっていった訳です。

Years Learning Framework 5原則

その5原則とはこうです。

  1. Secure, respectful and reciprocal relationships子供と保育士教師との安全で尊重しあった相互関係
  2. Partnershipsパートナーシップ(教師と親そしてその子供の発達に関わるの療育士などの専門家との協力関係)
  3. High expectations and equity高い期待と公平性(全ての子供の能力を信じる)
  4. Respect for diversity多様性の尊重(多様な子供の文化、あり方、信じるものを受け入れ尊重し共存する)
  5. Ongoing learning and reflective practice教師の実践研究の継続 (ここにドキュメンテーションの重要性を明確に示している)

つまり子供の発達と学習をもっと全体的にとらえているわけです。個々の子供のありかたをまるごとを受け入れ、その子どもの能力と可能性を全力でサポートする、そういう姿勢がうかがえます(てか、教育省の熱の入った鼻息が聞こえてきそうです笑。)そしてそれを支えるのが実践者(教師、保育士)の高い専門性というわけですね。

Photo by Daniel Öberg on Unsplash

これに伴って、まず幼稚園教諭の4年制学位取得の徹底制度導入が始まり、学生のみならず、実践の飛躍的な向上を図るための現場の教師や保育士の研修の徹底、教師間のネットワークの充実、そして賃金の大幅な改正などがどんどん進められていった訳です(ま、給料に関してはオーストラリア人が誇る最強の労働組合の仕掛けも大きかった。けれどそれも、こうした教師たちへの高い期待とそれに伴う責任拡大へのかなり強いプレッシャーへの報酬として要求がなされたわけです。)

5Learning Outcomes 10年戦争に巻き込まれた教師たち

さて、この5原則に基づいて、子供が実際に教室で何を目標に学習してゆくかの「目安」ができました。それが5Learning Outcomes「(期待される)5つの学習成果」と言われるものです。改革によって新しい規定や資料がどんどん制作されていった中で、現場の教師や保育士たちは特にこの5Learning Outcomesの実践研究と定着にその後10年間ほどは集中しゆくことになります。

教師たちの10年戦争「のぼれ!」
Photo by x ) on Unsplash

この5Learning outcomesは、最初の「発達の5領域」と何が違ったのでしょう?5Learning Outcomesとは次の5つの項目で成り立っています。

  1. Children have a strong sense of identity. 強い主体性を持つ子ども
  2. Children are connected with and contribute to their world. 自分たちを取り巻く世界と繋がりその世界に貢献する子ども
  3. Children have a strong sense of wellbeing. 強い幸福感を持つ子ども(「強い心身を持つ子供」というニュアンスなんだろうけど、ここは障害の有無関係なく全てのアビリティの子供であることを強調するためにあえてwell∸beingという言葉を使ったのかもしれない)
  4. Children are confident and involved learners. 自信のある熱心な学習参加者である子ども
  5. Children are effective communicators. 効果的な、または意味のある対話ができる子ども(「心が通った対話」とも訳せるかも。この訳はちと難しい)

日本語に直訳するとちょっとドッジなので書きませんでしたが、実はどれも「子供は」という言葉から始まっています。「オーストラリアの子供は」と言い換えるとピンとくるかもしれません。つまり「(期待される)学習の成果」は目標としてではなく「国の子供像」、つまりImage of childrenという感じで示されている分けなんです。

これはまさに、この新しい指針がレッジオエメリア哲学に影響されているのがわかっちゃう部分ですね(まあ、世界中の優れた教育を研究したうえで作られた指針のはずですから当たり前と言っちゃ当たり前ですが)。オーストラリアの文部省は、私たち教師にこれらの子供像を目標に、全ての指導計画を展開するように求めているわけです。

全ての歯車は子どもの主体性を軸にして

この5 Learning outcomes、 以前の「発達の5領域」とはだいぶ違いますね。英語をそのまま読むともっと感じることは、新しい指針は、全てが子どもが主体になって示されているという事です。子どもが「何を学んでどんな能力を延ばすか」ではなく、「彼らがもともと持って生まれた素晴らしい主体性や個性を心地よく発揮して他者(環境や人、新しい知識)と繋がる」そんなことを強調しているようです。

例えば、さっきのパズルの話ですが、新しい指針では、「パズル遊びは子供の何を発達させるか」ではなく「その子はパズル遊びをして何を感じ学んだか」が学習記録の軸となります。なので教師は子どもが何を学んだかを多種多様にとらえることができるでしょう

「トモエちゃんはパズル遊びをしているときどうしても最後のピースがハマらなかったのであきらめそうになりましたが、キアちゃんがきてピースをくるりと回してみたらハマりました。トモエちゃんはキアちゃんを見てにこりとし、その後二人はずっと一緒に遊んでいました。」という記録をあなたが書いたとします。そしてトモエちゃんがこの経験から何を学んだのかを読み解くときに、「5つの学習成果」の全ての文の最初に「トモエちゃんは」と置いてみてください。

「トモエちゃんは主体性をもってパズル遊びに取り組み(Identity主体性)、試行錯誤している中で(Learning学び)、新しい友達とつながることができました(Community他者との繋がり)。」と、トモエちゃんの学びの経験を、あくまでもトモエちゃん自身を軸にして全体的にとらえることができるわけです。「発達を手助けする活動」ではなく「その子どもの主体的な学びを手助けする環境、人,事象」に重きを置いているわけです。

このようなことが軸になると、幼稚園教育を通して子供たちが「環境、人,事象」とどのように関わりを持つかが大切になり、この新しい指針はそのような学習設定を幼稚園プログラムで展開するよう、徹底して教師に求めているわけです。

子供たちが「環境、人,事象」を自由に探検できる遊び設定(くろねこ先生クラスのアルバムより)

例えば、オーストラリアの幼児教育の環境設定ででOpen-end play setting(制限のない遊びの設定 ∸ 子供がその物や空間を使って自由に発想を膨らませて遊ぶ物や空間の設定) とかProvocation(子供の遊びの発想を膨らませる為の、物、事象、空間を使った刺激的な設定。Provocationはレッジオエメリア哲学を取り入れるときに欠かすことのできない概念)などという言葉が多く使われるようになったのもそこがベースになっています。

オーストラリアの怖~い監査の話

さて、またまた脱線してしまいましたが、話を「オーストラリアの怖~い監査の話に」戻しましょう

Quality Improvement Planの心理的ダメージ

なので!この監査The Assessment and Rating「評価とランク付け」は、各幼保育園がこの新しい幼児教育指針Early Years Learning Frameworkの目指すところにきちんと準じた教育プログラムを提供しているか、それを厳しくチェックすることも大きな狙いとなったわけです

で、私が、レッジオエメリア哲学をとり入れた大手の某チャイルドケア カンパニーで、カリキュラム リーダーとして働いていた時、来たんです、「評価とランク付け」が。私は何回か転職したので、2009年に新しい指針が発布されてからそれまで、もうすでに違う幼稚園や保育園で3回の監査「評価とランク付け」を経験していました。私のプロジェクト学習のドキュメンテーションは大体高評価をもらっていたし、監査が来ること自体に対しては自分でもあきれるくらいリラックスしていました。

私がカリキュラムリーダーをやっていた保育園の幼稚園クラス。新設で何もないところから、少人数の保育士チームとともに園内を整えっていった(2018)

「つまり、その園が、常に自分たちの経営状態を振り返り改善すべき点は改善して、さらにインプルーブしようとする熱意をもって仕事にに取り組んでいるか、そこさえ押さえてりゃいいわけなのであ~る。」という論をおったて「それさえアピールしてりゃあオッケー!」と高をくくっていました笑。

でも、これにはきちんとした裏付けがあります。この監査が来るまでに、園の側はQuality Improvement Plan(QIP)「(運営と実践の)質を向上させる計画書」というのを作成し提出しなければならず、園のスタッフはこのQIPを作ることに奔走するわけです。QIPには計画だけではなく、「改善すべきこと」「どのように改善するかの計画」「改善するために何をしたか」「改善はなされたか」「今後の改善計画」を全て記します。QIPには教育実践から運営活動にわたって7項目あり、その一つ一つにマンスリーベースで各「改善ストーリー」を追記してゆきます.

QIPはここでは見せることはできないが、これは監査の後、私がフォローアップとして反省ならびにさらなる改善方法を保育士さんチームに提案したプリント(2018)

これを年間を通して継続的にしてればいいんですど、まあ、だいたいは(特に保育園はスタッフの入れ替わりが頻繁で、なかなか一貫した仕事が実現出来ない)気が付くと「あれ?そういえばQIPどうなってるっけ?」と思い始めた時に、「監査が来るよっ」の通知が来て慌てて本腰入れてやる、ていう園が多いわけです。ダイレクター(園長)が青ざめ寝不足になると、そのとばっちりは教師や保育士へと飛び、園全体が緊張感いっぱいピリピリした感じになり、それが監査が来るまでの2か月間くらい続くわけです。(こわっ!思い出したくない雰囲気)。

Photo by David Clode on Unsplash

で、誰がこのQIPの責任を担っているかというと、経営関係はダイレクター(園長)ですが、教育プログラム全般に関しては、私が就いていたカリキュラムリーダー(普通はエジュケーショナルリーダーと言います)のポジションです

「なるようになる」の根性

私は自分が幼稚園教師として働いていた時には自分のプログラムに自信があり、監査が来ることにほとんどストレスを感じなかったけれど、カリキュラムリーダーのポジションとなると、話は別です。だって、いくら私が熱心に頑張っても、クラスルームの先生たちに熱意がなければ、改善の目標には到達できないわけですから。正直に言うと、その時私が働いていた園のスタッフは決して熱意があるほうではなかった(笑)。

「みんなちょっと熱意にかけていたかな、ちょっと残念」
Photo by Mick Haupt on Unsplash

私はやれることだけはやったので、後は「なるようになる」「運が良いことを願おう」と神任せにすることにしました(笑)。

さて、監査の日がやってきました。この監査を行う人のことをassessorアセッサーと言いますが、このアセッサーの到来は、机にがちがち震えながら座っていた23歳の、どういう経路でこの座にいるのかさっぱり不明な、絶対親戚がらみのコネではいったとしか言いようのない、まったく無能なダイレクターをさらに青ざめさせました。

監査員ジーンズとカジュアルトップの努力

アセッサーの仕事もこの教育改革にのっとり、「リスペクトとアクセプト」の精神に準じて進歩を重ね(くろねこ先生による見解笑)いつごろからか、彼らはこの The Assessment and Ratingの訪問の際、「子供の不安感をあおるような」威嚇敵なスーツは着てこなくなり、ジーンズとトップみたいな極めてラフな格好をして来たりするようになりました(ビクトリア州だけかなあ?)。

監査時に廊下に展示されていたグループプロジェクトのドキュメントの一部。監査が来るときは特に注意して子どもたちの学習証拠が視覚化されていることがわかるようにする(2018)

そして彼らの訪問の際には、ほとんどのアセッサーが「存在」を誇示しないように、教室の隅のほうで静かにおとなしく記録を取ります。アセッサーは定員80人~100人くらいの規模の幼保育園には大体単独で訪問し、それ以上の規模になると二人で来ることもあるようですが、その時でも二人固まってこそこそ記録を取ることもなく、それぞれ別の教室で単独に記録を取ってゆきます。彼らはまた、子供に話しかけられると、とても謙虚にソフトな声で対応し、こちらも「ずいぶん気を使ってるなー」なんて思う時があるくらいです。

が、です。その時の監査では、これが裏目に出っちゃったんです。

キュメンテーションの効能

2歳児のクラスはマックスという若い保育士の彼がもう一人のアシスタントスタッフと一緒に担当していました。マックスは英国系オーストラリア人(つまり典型的な白人系のオーストラリア人ってこと。職業柄、肌の色で表現するのはちょっと抵抗がありますが、ここは簡単にイメージできるようにこう書きます)で、やる気があるのかないのかちょっとわからない感じでしたが、まあ、その時保育士経験4年で自分のプログラムには自信を持っているようでした。私のデスクにきてプロジェクト学習について聞いてくることもあり、私は彼のクラスの子供たちの「お店屋さん遊び」をプロジェクト学習に発展させられるよう、彼をサポートしました

これはくろねこ先生の保育士へのサポートのアプローチ計画。これも監査時の証拠資料になる(2018)

監査「評価とランク付け」が来ることに決まると、私は彼が効果的なドキュメンテーションを制作出来るように補佐しました。今までの私の記事、「日本の幼稚園でできるの?やろうよプロジェクト型学習、子供が主体の学びの冒険」シリーズをずっと読んできてくださった方はもうお分かりだと思いますが、もうこうなったからには(新しい指針が子供主体の学びをこんなに強調しているからには)私たち教師保育士はもうドキュメンテーションから逃げるわけにはいかなくなりました。

グループプロジェクト学習と主体性の相性の表面的事情

実というと、オーストラリアではグループプロジェクト学習を自分の実践に取り入れている先生はさほど多くはありません。でも、プロジェクト型学習を取り入れなくとも、子供主体が基本であることは変わりありません。教師保育士は「子どもが主体」を軸に子供の声がどのようにプログラムに反映され、そしてそれをどのようにサポートして子どもの学びを生み出したのか、しっかりとした証拠を残さなければなりません。それが、「教育証拠的文献の制作」つまりドキュメンテーションなのです。監査「評価とランク付け」はそこのところも徹底してチェックするわけです。

これは保育士さんの参考になるように、ドキュメンテーションの基本的な構造を示したもの。くろねこせんせいのオリジナル(2018)

私は、マックスにグループプロジェクト「お店遊びプロジェクト」のドキュメンテーションを必ず子供一人一人のLearning evidence 学習証拠にも展開させるようにアドバイスをしました。なぜなら、「子供が主体」というのは言うがごとく、一人一人の子供の主体性を意味するからです。

ちょっと付け加えますが、オーストラリアでプロジェクト学習を展開させるとき、いつも壁にぶち当たるのはこの「子供一人一人の主体的学習の徹底」の強調です。国の指針はグループ学習ではなく個を最も重要視しますから、ここがプロジェクトアプローチの本場レッジオとの違いです。なので、オーストラリアでは素晴らしいプロジェクト学習の導入を高評価しますが、そこを必ず子どもそれぞれの個の学習に結び付けることを条件とします。なので私はそこもおさえてマックスにアドバイスしたわけです。

園のカリキュラムリーダーとして、レッジオエメリア哲学を導入したカンパニーゆえに、光を使った遊び体験を多く設定した。が、なかなかアメリカ型の表面的なレッジオ導入から抜け出せない感がある。ま、利益型のチャイルドカンパニーだからしょうがない。(2018)

これだけやっときゃあ、「ま、大丈夫やん」と思っていました。私はこの時すでに、先にご紹介申し上げた「無能」なダイレクターに腹が立っていて、スタッフの熱意のレベルの低さもあって、はっきり言ってちょっと投げやりになっていたこともあります。とにかく、この状態では「パスすりゃあ、上出来でい」と思って腹を決めていたわけでした。

アセッサー婦人のご入城と同情の行方

またまたずれてしまいましたが、ま、とにかく、来たわけです、監査担当のアセッサーが。

監査が各部屋を回って記録を取っている時は朝の受け入れ時でしたので、カリキュラムリーダーとして私は忙しい部屋を回ってスタッフをサポートをしていました。で、私が廊下を歩いていた時、マックスの部屋にそのアセッサーがいたのを窓越しに見かけました。

「アセッサー婦人のご入城!」(カリキュラムリーダーの時にプロジェクトルームを作り、そこに設置したコミュニテイの制作活動。どの年齢のクラスの子供達も参加でき、お城を大きくしてゆくことができる。2018)

見るとひとりの女の子がアセッサー婦人にそっと寄り添っています。あの子はルーシー、最近入園してきた女の子です。この間マックスの部屋にサポートで入ったとき、ルーシーははじめはまだ泣いてたけど、その後すっかり機嫌よくなったのを思い出しました。アセッサー婦人はパズルなどを取ってルーシーに勧めたりしています。「あれ、珍しいなあ。今のアセッサー婦人は子供に関わったりするのかな」なんてちょっと思いましたが、別段気にも留めずにいました。

くろねこ先生の幼稚園クラス環境設定の例を保育士さんたちとシェアするために作った資料(2018)

監査は、実践記録が終わって午後になると、今度はオフィスでダイレクターやカリキュラムリーダーと話をし記録を取ります。彼女は、とりあえず私のスタッフへのサポートアプローチや、プロジェクト学習の園を挙げての取り組みの記録を一通り読んで(自分で言うのもなんですが笑)まあとりあえずは感心した様子を見せました。

ところが、です。

園を挙げてのプロジェクト学習の導入。子供の学習証拠の視覚化。(2018)

その後、アセッサー婦人がこう聞くんです。

「ところで、あのルーシーという女の子は最近入園したんですか?」

私が「はい」と答えるとアセッサー婦人は言いました。

「今日は私の傍らにぴったりくっついて不安そうにしていました。どうしてでしょう?ちょっと彼女の記録を見せてください。」

!!!私は内心焦りました。なぜかと言うとルーシーは、私が「きちんと個人記録を取っておいてね」とマックスに言ってその記録をすべてチェックしたその後に、入園してきた女の子だからです。私はマックスがすでにルーシーの記録を取っていたかどうか定かではなかった。

保育士さんが「子どもの学習を視覚化する」のをサポートするドキュメンテーションのテンプレート。くろねこ先生オリジナル2018

それにしても、今考えると「入園して3週間ですからまだ観察の段階です」とも言えたんでしょうが、こっちは責任があるので思わずひやりとしてしまったわけです。

保育士の先生なら皆さんご経験があると思いますが、子ども特に2歳児は、部屋の中に自分に1対1で向き合ってくれる人がいると、担任との関わりを拒否してその人のところに一緒にいようとしますね。まして登園したばかりで母親と分かれて泣いている最中に、自分だけに目を向けてくれる人が部屋に入ってくれば、担任との関係性が出来上がりそうな時だったとしても、その人のところにいたがります。だって、担任は「子供達」を見ますが、「その人」は自分だけを見てくれるからですね。まだまだ個としての大人とのつながりが強い時期です。

ルーシーはマックスとの関係を築いている最中で、この頃やっとマックスに愛着を示すようになったばかりでした。

で、そこに入ってきたアセッサー婦人です。まだ早い朝、ルーシーがマックスとの友好関係ができる途中だということを思い出す(子どもは毎日この繰り返しですね)その暇も与えず、泣いてるルーシーに同情したアセッサー婦人が、ついルーシーに必要以上に関わってしまったわけです。

アセッサー婦人のビッグミステイクと監査のフィナーレ

今考えてみると、これはアセッサー婦人のビッグミステイクに違いありませんでした。「自分が保育士立場になってどうするか、それをやったら、あんたが見たかった保育士と子供の通常の関わり方を観察できないではないかい!」と今の私だったら一言言ってやったかもしれないが、悲しいかなあの時は、ちょっと冷や汗かいちゃってました。

で、「もちろん!マックスは個人記録を良くとってます!」なんてあっけからんと言い、そーっとタブレットでデジタル記録をチェックしてみました。ドキドキ…

で、たった一つ見つけたルーシーのほんの小さな個人記録。

「ルーシーようこそ僕たちの保育園へ!ルーシーが入園して2週間がたちました。今朝お母さんと離れてしばらく泣いていましたが、少しづつ少しづつ僕に近寄ると、自分の大好きなおもちゃの熊のダーフィをそっと僕に見せてくれました。午後になるとすっかり慣れて外遊びも楽しみました。」

発達学習記録とは言い難い、ショートのウエルカム記録。「まだ3週間しかたってないんだから、これで上等やん!」とはもちろ言わず、私は「ハハハ」と無意味な笑いをして、そおーっとアセッサー婦人にそれを見せました。

彼女はそれを無言でしばらく見つめGood, but… is there any other documentation?「ま、いいでしょう、でも他にルーシーのドキュメンテーションありますか?」と静かに言い「だって、ルーシーはあんなに不安がっているのにその改善対策に関した記録がありませんよね?この記録はあまり意味がありません。」だって。

その後はお茶を濁すように会話を終わらせようしたドッジなくろねこ先生でした汗。

皆さん、もうお分かりですね、ドキュメンテーションの恐るべき威厳、そしてオーストラリアの監査の怖さが!徹底して「子供の主体性に寄り添った」政府の教育方針の執着とも言える恐るべき一面でした苦笑。ま、結局どの項目も「素晴らしい」にはならずとも、期待通り「パス」しましたから、それで良しです(笑)。おわり。

続きは次回の記事で!

虎の巻第5巻「 オーストラリアの怖~い監査とドキュメンテーションのお話 」いかがでしたか?次の記事、虎の巻第6巻 「 実は日本幼稚園教育要領さんは一番大切なパートナーだった! 」はこちらからどうぞ。ぜひまた遊びに来てくださいね。

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くろねこ先生の「日本の幼稚園でできるの?やろうよプロジェクト型学習、子供が主体の学びの冒険シリーズ~ドキュメンテーション虎の巻全集~」次回もお楽しみに!

こんなお話もあるよ!

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