「やりたいからやる。」

日本の幼稚園でできるの?やろうよプロジェクト型学習、子供が主体の学びの冒険~ドキュメンテーション編 虎の巻 いよいよ最終巻「『やらなきゃ実践』から『やりたい実践』への楽しい脱皮 、ああ、先生やってて良かった!」です!この ドキュメンテーション編 虎の巻では、9巻を10回の記事に分けて、プロジェクト型学習には欠かすことのできないドキュメンテーションの役割とその取り組みについて読者の方と一緒に考えています。まだ前回の記事を読んでない方はこちらから!

「準備はいいですか~?」Photo by Joseph Barrientos on Unsplash

ちょっとその前に…

他にはない深掘り思考の旅、気楽で呑気なのに真剣でかつ情熱的、とってもユニークなくろねこ先生のこのオリジナルシリーズは こんな感じでやってます!

  1. 一の巻 ドキュメンテーションっていったい何? なんで英語よ?( この記事を読む
  2. ニの巻 ドキュメンテーションってどんなもの?Part1 ( この記事を読む)
  3. ニの巻 ドキュメンテーションってどんなもの?Part2 ( この記事を読む)
  4. 三の巻 プロジェクト学習とドキュメンテーションの二人三脚の旅( この記事を読む)
  5. 四の巻 くろねこ先生のドキュメンテーションちょっとお見せします(この記事を読む)
  6. 五の巻 オーストラリアの怖~い監査とドキュメンテーションのお話 (この記事を読む)
  7. 六の巻 実は幼稚園教育要領さんは一番大切なパートナーだった!(この記事を読む)
  8. 七の巻 プロジェクト型学習、どうやって日本の幼稚園で実践できる?指導計画に組み込まれたドキュメンテーション (この記事を読む)
  9. 八の巻 「時間くれんならやってもいいよ」先生たちの時間戦争と勝算(この記事を読む)
  10. 九の巻 「やらなきゃ実践」から「やりたい実践」への楽しい脱皮 「ああ、先生やってて良かった!(今回はこの記事!)
「出航で~す!」Photo by Ilse Orsel on Unsplash

また、「日本の幼稚園でできるの?やろうよプロジェクト型学習~子供が主体の学びの冒険」では幼稚園のプロジェクト型学習について、メルボルンの幼稚園を拠点としたくろねこ先生の実践例を紹介させていただいています。シリーズの初回記事のリンクはこちらからどうぞ

それでは今回のテーマに行きましょう!

九の巻「やらなきゃ実践」から「やりたい実践」への楽しい脱皮

この 「幼稚園プロジェクト学習とドキュメンテーション」シリーズ、今回がいよいよ最終回となりました。読んでいただいている皆さんに、幼稚園のプロジェクト学習がどんなに素晴らしいものか、そしてドキュメンテーションがいかに重要か、躍動感を持ってお伝えしたくて、恥ずかしながら私のメルボルンの幼稚園での実践を例にとってお話をさせていただいています。

このシリーズは10回シリーズで、始めは4か月ほどで集中して書き終わる予定だったのですが、実はこのシリーズを書いている途中で、くろねこ先生、またまたびっくり教育現場に戻ることになり、それからはゆっくり投稿となってしまいました。生活が突然忙しくなりましたが、それでも現場で子供を教えながらのブログ書きは、自分の気持ちと自分の考えや哲学がゆっくり統合しているような気分を味わせてくれました。

自分がブログの中で皆さんに伝えたいと思っていることは、本当に地に根を下ろした理論になっているだろうか、ただの理想論になっていやしないだろうか、そんなことを、自分の現場で再確認するような実験的な場面もたくさんあったかのように思います。

メルボルンの幼稚園のちょっと変わったシステム

この最終回の記事「やらなきゃ実践」から「やりたい実践」への楽しい脱皮」をお話しするには、まず私の住む州都メルボルンのあるビクトリア州の幼稚園のちょっと変わったシステムについてお話しなければならないでしょう。

「ここがメルボルン。駅はアイコンです」
Photo by Fabian Mardi on Unsplash

まず、ちょっと私の新しい職場についての話から始めます。「プロジェクト学習」からずれてると感じる方もいらっしゃると思いますが、ちゃんと後で繋がります(笑)。

くろねこ先生の現在の職場

私の新しい職場は、メトロポリタンから車で45分ほどドライブしたところにあり、20年前にはまだまだ見渡す限り田園風景が広がっていた田舎の町でした。オーストラリアの人口は何十年間にもわたり増え続けていますが、それに伴って土地開発もどんどん進んでいます。

「家がどんどん建っちゃいます」Photo by Tom Rumble on Unsplash

もちろん、それらの新しい土地は先住民アボリジニの土地である事に敬意が示され、彼らの許可と助言を受けながら整地を進め新しい住宅地が開発されていきます。そしてそれに伴って、学校や幼稚園も最新の設備を備えて新設されていくわけです。

「エアーズロックはオーストラリア先住民の聖地」Photo by Simon Maisch on Unsplash

私の新しい職場もそのような背景で建てられた、公立の新設の幼稚園ですが、その経営は非利益型の民間マネージメントサービスに委託されています。なので、設備はすべて市の管轄で整えられますが、経営陣はお役所陣営ではなく、全員がベテランの幼児教育の実践経験者であり専門家であるわけです。

くろねこ先生のメルボルンでの幼稚園先生歴

「非利益型の民間マネージメントサービス」というものについてもうちょっとお話したいので、ここでわたしのメルボルンでの幼稚園先生歴についてちょこっとだけお話させてください。

「ブラック企業」さながらのちび保育園

私がメルボルンに移住したのは26年前ですが、教職に復帰したのは息子が小学校に上がった年の21年前です。はじめは個人経営の小さな保育園の幼稚園教諭職から始まりました。当時はまだオーストラリアにも日本でいうところの「ブラック企業」っていうんでしょうか、園長の懐を潤すだけのために経営されてる小さな私立保育園経営がたくさんありました(もちろん素晴らしい私立保育園もたくさんあります)。

当時はオーストラリアに移民するためというだけの理由でチャイルドケアのビジネスを始める人も少なくなかった。「お金を作らにゃいかん。」Photo by Mathieu Stern on Unsplash

私が働いていたその小さな保育園は、はっきり言って日本の「ブラック企業」よりさらにひどかったと思います。本当に最低限のものしかなかった。けれど、「無駄なことは何もない」とは言ったもので、おかげで私は、工夫することで子どもの活動を豊かにす方法を徹底して試す沢山の機会を得ました。それが後で自分独自の技法となっていたわけです。

市立の公立保育園とプロジェクト学習との出会い

その3年後に市立の公立保育園で4歳児幼稚園のクラスの担当教諭として働き始めます。その時に出席した研修会で偶然に出会って魅了されたのが、レジオ エメリア哲学と「プロジェクト型学習法Project-Based Learning(PBL)」だったわけです。ちょうど州の奨学金を受けて大学院の幼児教育学準修士課程Graduate Diploma in Early Childhood Educationに進学準備をしていたのもその頃でしたので、それによって実践研究の機会もたくさん得て、私はさらにプロジェクト学習の導入と実践研究に没頭するようになったわけです。

フルタイム勤務で大学院の勉強をするのは大変だったが、毎朝4時起きの勉強タイムは心身にものすごい活力をくれた。一日中目が冴えていて日中の仕事もエネルギッシュにこなせた。Photo by Debby Hudson on Unsplash

その保育園は市の管轄でしたので全てがきちんとしていましたし、その地域は知識階級層の多いエリアでしたので親の教育思想もアップデートされていて全てがとてもやりやすかった。なので、Project-Based Learning(PBL)の導入は親からも受け入れられ、私のモチベーションはかなり上がりました。

こどもの親は上司、上司はこどもの親!

が、日本の公立保育園とは一つ違う事がありました。

実は私が住むメルボルンが州都であるビクトリア州公立幼稚園 保育園というのは、本来は地域の親の運営委員会(Parent committee ペアレンツコミッティ)が運営するコミュニティ型の園が主流でした(今でもたくさんあります)。私が働いていたその公立保育園も、市の保育園ではありましたが、実は経営と運営自体は地域のコミュニティの運営委員会(committee)がやっていて、実これはその保育園に通っている子供の親たち、つまり日本でいうところのPTAに委託されていたわけです。

「はいは~い、先生、お給料上げるからうちの子供頼みますよ~」Photo by Markus Spiske on Unsplash

このシステムは、歴史をたどればヨーロッパの流れなのかもしれません。例えば敗戦後イタリアで、地域の人たちが貧困の中から立ち上がりルイス マラグッチとともに地域の子供たちのために幼稚園を築いたレッジオ エメリアもその例です。なので、レッジョエメリア哲学は今でも、地域の人や環境と繋がる「ピアッツァ(広場)」とういう空間から育まれるコニュニティー概念をとても大切にしているのだと、私たちは学びますね。

「子供はコミュニティの宝。コミュニティは子供の宝。」Photo by Gabriella Clare Marino on Unsplash

しかし、日本から来た私にとってこのシステムほど奇妙なものはありませんでした。これはつまり、自分の生徒の親が自分の上司となるわけです。ま、表面的にはお互いに「うちの子の先生」「生徒の親御さん」としての敬意を払いつつお互い何とかうまくやっていくわけですが、ご想像の通り、実際はそんなに簡単なことではありません。私も親なのでわかりますが、やっぱりどうしても私情が入ってしまいます。

でも、私が初めて務めたの公立保育園は先述したように、大変居心地がよく私はそこで大変充実した5年間を過ごすことができました。ところが、この後に就いた公立幼稚園では、やはりそうはいかなかったのです。

遂に時代の流れに乗ったメルボルンの幼稚園!

その公立幼稚園でのお話をする前に、その背景を先にお話しします。

そのビクトリア州の「親運営の幼稚園」システムですが、以前お話した2009年の The Early Years Learning Framework(EYLF)(EYLE設置についてはこちらの記事に詳しく書きました。)に伴って、州政府の方針に変化が生じてきました。世界中の優れた幼児教育を研究して出来上がった我らのFrameworkを幼稚園保育園で実現するには、悲しいかな素人の親の経営では成り立っていかなくなってきたのです。いや、かりに運営はできても教育の質の向上の責任を担うのにはやはり専門的知識がなければやっていけません。

「わたくしが、こどもの専門家です。」Photo by Hunters Race on Unsplash

このEYLF 設置の流れと平行して、州の人口増加や女性の社会進出のニーズにこたえるようにして保育施設の数もどんどん増えてきました。国における幼稚園と保育園の管轄が一体化され、幼保教育の連携が強化されると、保育園での幼児教育の質の向上も要求されるようになります。

国の意向を受け、ビクトリア州政府は、ここでそれまで親運営だった幼稚園や個人経営の多かった保育園の経営を、専属の専門家を備えたクラスター経営に移行させてゆく方針を勧めてゆきます。憶測ですが、クラスターによる新しい保育園の設立費用は州からかなりのサポートを受けている感があります。メルボルンをドライブをしていると必ず新しい保育園の建設に出くわすほどです。

「昨日建てた保育園より今日建てた保育園のほうがでかいな~」Photo by Josh Olalde on Unsplash

新しい時代!幼児教育専門家の微笑み

という感じで時代が移行し、その流れの中でさらに旅をしながら、くろねこ先生は現在の「市の経営でありながら非利益型民間運営」の幼稚園の職に落ち着いた、というわけなのです。なので、現在の職場では、欲張りな個人経営者ではなく、または子どもの親グループでもない、グローバルの見識を持った幼児教育の専門家達が常にサポートをしてくれるわけです。

「あなたのスキルに光をともして進ぜましょう。」Photo by Riccardo Annandale on Unsplash

この素晴らしい専門家たちは差別はもちろんのこと、職場にけっして不必要な「上下関係」は作りません。わたしたちは「運営のプロ」と「実践のプロ」という意味で常に平等の立場で仕事をしているわけです。さらに、私の現在の職場はレッジオ エメリア哲学を導入していますから、そこで私のプロジェクト学習スタイルが受け入れられサポートされたわけです。まさに、専門的な知識と見解を持って私のプロジェクト型学習が受け入れられたわけです。

古い時代の親運営幼稚園の黒い微笑み

さて、そんな背景の中で、くろねこ先生が先にお話しした居心地の良かったその市の公立保育園での5年間の勤務にくぎりを付けて辞めてから、現在の非利益型の民間運営の公立幼稚園という職場にたどり着くまでに どのような旅を経たのか、今度はちょっと時を元に戻してお話したいと思います。それが、今から6年ほどさかのぼった、今度は親運営の公立幼稚園でのお話です。

「人生、坂道登るために坂道下る、坂道下るから坂道登る」Photo by Matt Duncan on Unsplash

コミットメントと信頼の裏で

くろねこ先生が、市の公立の保育園での5年間の勤務にくぎりを打ち、次に得た新しいポジションは、海辺の町の市の公立幼稚園の主任教諭(Educational Leader)の職でした。この幼稚園こそ、Parent committee (親の運営委員会)色がかなり強い典型的なメルボルンの公立幼稚園だったのです。

つまりこの幼稚園は、先述したような新しい時代の動きに逆流していたのかもしれません。 それでも私は、市立の保育園での5年間の勤務での居心地の良さを思い出に、この職場でも親の運営陣営とうまくやっていけるという自信がありました。

「人とのつながりが人生をつくるとは言うけれど。。。」Photo by Andrew Moca on Unsplash

ところが。くろねこ先生がその幼稚園で痛い目にあって心に傷を負ったまま主任教諭(Educational Leader)の職を辞めたのは2017年でした。この幼稚園で働いていた5年間、毎晩寝る直前まで運営委員会の親とメールでやり取りしていたほど幼稚園の仕事に没頭していましたし、はじめから心に抱いていた通り親からもそれなりの信頼を得ていました。ところが、やっぱりどこかですれ違いが起こってしまったわけです。

「こんな瞬間はチェスで遊んでりゃあ何回も出くわすんだ。」Photo by GR Stocks on Unsplash

親たちは、昼間は自分たちの仕事をしていますから、夜幼稚園の事務仕事を分担してやります。なので、先生たちもこれに合わせてメールでやり取りをしなければなりません。親たちからすると「自分たちの家庭の時間を削って運営をやってあげてるんだから先生たちがそれに応えるのは当たり前」の世界だったようです笑。これまさに日本でいう上司の「パワハラ」ですね(笑)。これが当たり前の世界だったのです。

素人運営の行く末

こういうふうなので、何かお気に召さないことがある親が、そのことで一旦他の親たちに“ひそひそ話”を始めると、それはじわじわと広がってコミュニティ全体に広がっていきます。 私が子供たちと心の通った時間を送っていたその裏で、ゆっくりとそういうことが展開していたのでしょう。辞めさせられたわけでは決してないかったし、たくさんの親から惜しまれての辞職だったけれど、運営委員会の腹黒さは透けて見えるようだった。これは、直後に親たちの一人が勉強したて、資格取りたてで自ら主任教諭の役に就いたことからもわかる(笑)。

「ひそひそ話は人間の持って生まれた才能かもしれない。悪くはたくこともあるけどうまい具合に役立つときもある。」Photo by Ben White on Unsplash

正直に言ってしまいますが、私は裏切られた気持ちでいっぱいでした。「あんなにコミットしてきたのに、この幼稚園にも、親にも、コミュニティにも、そしてなによりも彼らの子どもたちに!」と怒りがこみあげてくるほどでしたが、でも、今落ち着いて考えると、裏切ったのは親ではなく、自分自信の有り余るほどの情熱だったのかもしれません。「あんなに降り注いだ情熱だったのに、結局はそれは受け入れられなっかたのか」という自分の仕事熱の自分自身に対する裏切りに、腹が立ったのかもしれません。でも、この教訓は、自分の仕事へのバランスのとれた向き合い方という点で、その後かなり役っ立っていますが。

「燃えついて焦げてしまったものはその場に置き捨ててさっさと新天地へ向かおう!」Photo by Mantas Hesthaven on Unsplash

コミュニティ意識の実態と差別

さらに。その幼稚園があった地域はヨーロッパ系の移民が大半を占めていて、ま、日本の皆さんが想像するいわゆるガチな白人系の海辺の裕福な街だったわけです。西洋文学が好きな方は想像できると思いますが、文化専門職系の若い世代のヨーロッパ系家族が近年さらに増えいたその街では、「この海辺のきれいな街並みを徹底して守れ!」の哲学と精神が浸透していました。この幼稚園は、「コミュニティへの想い入れ」という意味では、そのチャーミングな小さい街のシンボル的な存在の一つでもありました。

「これはメルボルンのその海辺の町じゃあないけど。。。」Photo by freshinc on Unsplash

その、彼らの街のアイコンである幼稚園でリーダーをしていたのが、全く日本語アクセントの、当たり前ですが日本人の私です。彼らには自分達は「良識があるヨーロッパ人」という認識が強いですからもちろん「差別」なんてあるわけないんです。まして私は彼らの子供の先生ですから「差別」なんてするわけありません。

なので、わたしに対する「差別的」的眼差しはいつもわからないように向けられました。私は、それに気づいてなかったわけでもないけれど、仕事に対する熱の方がそれに勝っていて、情熱の赴くくままに、毎日悪戦苦闘しながらも充実した日々を送っていたわけです。

プロジェクト学習をやる本当の意味

では、なぜそんな、強いメンタリティーでその5年間を駆け抜けることができたのでしょう?と今回思いを巡らせてみました。

その答えこそが、「プロジェクト学習の旅」なんです。

最後は辞任という形になってしまいましたが、それでもこの幼稚園で 私が私自身のために築き上げた「プロジェクト学習実践の財産」は、それから後の私の「リーダー職の旅」を思い返してみても、とても大きいものでした。

私のプロジェクト学習のスタイルは、皮肉にもその「素人親運営の幼稚園」という圧力にもまれながら力強くその土台を作り上げていったわけです。(*繰り返しになりますが、親運営でも玄人並みの素晴らしい幼稚園はまだまだたくさんあります)

この1年間、このシリーズを通して私が読者のみなさんにどうしても伝えたっかったのは、「プロジェクト学習」というのはただ単に「教える」スタイルではないという事です。私の、子どもと一緒の目線に立ったプロジェクト学習を通しての発見の旅は毎日わくわく感いっぱいです。

「先生、早く来なよ、あたしたちの冒険に先生も連れってってあげるから!」Photo by Jed Villejo on Unsplash

「今日の計画に子供たちはどんな反応を示すだろう?」というようなある種の心地よい「緊張感」もあって、またその計画がヒットして子供たちの発見学習を躍動的にすることができた時のニヤニヤが止まらない嬉しさや、または子供たちの反応がいまいちだった時のガッカリした自分でさえ、愉快に感るものです。

ドキュメンテーションをやる喜び

そして、この自分と子どもたちの発見に伴う喜怒哀楽の旅をじっくり可視化してゆくのが、このシリーズの主人公「ドキュメンテーション」の役割なわけです。このドキュメンテーションこそが、私が、幼稚園運営者である親とそのコミュニティに、子どもと私の「深い学びの旅」を印象付けた証拠となっていたわけのです。

「ここに証拠が残っています。」Photo by Clay Banks on Unsplash

最後こそ残念なことになってしまいましたが、先述したように、5年間を通してほとんどの親たちが熱心に私と子供たちのプロジェクト学習の取り組みをサポートしてくれました。

実際、彼らの子どもが毎回幼稚園に行くのをとても楽しみにしていたり、家に帰ってプロジェクトのことを目を輝かせて彼らに話すのを見ても、親たちはプロジェクトを通した深い学びの旅のすごい効果に驚いていたことも感じました。 こうして私は、言葉の壁を乗り越え、親からの信頼を得て、子どもたちと「学びの冒険」にじっくり打ち込める後ろ盾と協力を獲得できたわけです。

「Photo by Ben White on Unsplash

私のプロジェクト学習のアイデアは次から次へと湧いて出てきました。私は、親からの全面的なサポートを受けながらそれらのアイデアをどんどん実践に移してゆきました。自分の情熱にしたがって、私は(大学院にも行ってましたから)様々なリサーチと現場での実践的研究を繰り返しながら、大変充実した5年間を過ごしたわけです。

「物質的財産はもう運べないけど、知識と経験の財産ならいくらでも運んでやるよ。なんせ軽いからね」Photo by Marcin Simonides on Unsplash

なので、ドキュメンテーションは間違えなく私自身の教師としての発展の記録ともなっていきました。その後私が就いたレッジオエミリア思想を取り入れた園のカリキュラムリーダー職や現在の市立の公立幼稚園教諭の職も、このドキュメンテーションこそが幼児教育専門のマネージメントチームに受け入れられた、というわけなのです。

やらなきゃ実践からやりたい実践への楽しい脱皮!

つまりです。ドキュメンテーションというのは、教師が「やらなければならない仕事」ではないんです。ドキュメンテーションに従事すると、私たちは実践の中でたくさんの手ごたえを感じそれを可視化して自分自身で教師としての自分自身の素晴らしさを発見することができるようになるわけです。そしてそれは他の人の目にもとまり、ポジティブなフィードバックも耳にするようになります。

「うっほほーい。あたしってなんてワンダフル!」Photo by Peter Conlan on Unsplash

これによって「もっとこうしたい」「もっとやってみたい」という大変心地の良いやる気がみなぎってくるわけなんですね。これが「やりたい実践」への素晴らしい移行という事になるわけです。そしてそれこそが、「あなたのこれから」を築く為にあなたが既に築き上げてきた事のEvidence証拠となるわけです。

「私の光見えるでしょう、私愉快でしょうがないから、あなたにおすそ分け。」Photo by Kristopher Roller on Unsplash

ドキュメンテーションは未来の道しるべ

もちろん、始めから上手くはいきません。私もそうです。

市の公立保育園や幼稚園では、私たちは月に一度、運営委員会の会議に参加して自分のクラス運営について報告しなければなりませんが、英語が完璧ではない私が、はじめての会議でどんなに悲惨だったか、みなさんご想像できると思います。どの親も私に不信感を抱いていました。「英語が完璧じゃないのに私の子供を教えられるの?」という冷たい視線とプレッシャーを浴びる凍り付くような時間に、押しつぶされそうになったこともありました。

「ひょえ~みんな見てる。『私はナーバス』って英語でなんて言うんだっけ?そうだ『緊張』っていうんだ。あ、違う違う、それ日本語だ。もうごちゃごちゃだ、どうしよー」Photo by Matthew Osborn on Unsplash

けれど、ある日私は、プロジェクターを持ち込んでドキュメンテーションをスクリーンに映し出して話すことを思いついたのです。これが、運営委員会の人たちの私の実践への印象を少しずつ変えていきました。「言語の壁」を乗り越えた子供と教師がともに繰り広げる発見の旅、ドキュメンテーションを実際に観ることで、その学びの深さと喜び、つまりその神髄を感じ取ってくれたわけなのです。

プロジェクト学習とProfessional Identity

つまり、ちょっと大げさに言うと、私はプロジェクト学習に救われたわけなんです。私はプロジェクト学習にのめりこむことで、言語文化の違う国ででも、自分のProfessional Identity (教師としての自尊心)を高めてゆくことができたわけなです。

「これが、あなたの素敵なProffesional Identityです。」Photo by Josh Boot on Unsplash

だから私は、「プロジェクト学習」に少しでも興味を持ってこの記事やドキュメンテーション シリーズを読んでくれる読者のみなさんにぜひ言いたいんです。

日本の幼児教育界は確かにまだまだ保守的なのかもしれませんし、日本の社会は上下関係がほかの国に比べると厳格なのかもしれません。それは、ここでお話ししたように、メルボルンのまだまだ多い親運営の保守的な幼稚園の世界と同じなのかもしれません。

「パワハラは目で見えます。ご確認のほどをお願いします」Photo by Brooke Lark on Unsplash

けれど、もしあなたが少しでも興味があるのなら、子どもの主体性を大切にした学びの冒険「プロジェクト学習」、ぜひ一度あなたの実践に取り入れてみてください。そしてドキュメンテーションをぜひやってみて!ドキュメンテーションをやることで、あなたは教師としての、または保育士としての素晴らしいあなた自身を再発見し、そしてあなたがしているその素晴らしい幼児教育の仕事をこれからも発展させてゆきたい、そう思うに違いないんです。

「私は絶対自分を信じるんだ!それを見ている子供たちも、だから私たちが行く道を信じれるんだ」Photo by Pablo Heimplatz on Unsplash

そしてそんなあなたの前向きな教育者としての姿を、子ども達だけではなく、親たちもそして上司もきっと見てくれるようになります。そしてそれが、少なからず誰かの人生に影響するのかもしれません。そしてまた、あなたの教師としての次なる旅をサポートしてくれるのです。

そんな風にして、たくさんの素晴らしい先生が育ち、そして、その先生に教えられた子供たちが育ってゆくのです。私たちの社会は、こうして少しずつ変わってゆけるのだと思います。子ども達にも、それを見守る先生たちにも、いつかきっと優しい時代がやってくるのだと信じて。

おわり。

一年間ありがとうございました!

「日本の幼稚園でやってみようよ『プロジェクト型学習』楽しい学びの冒険!ドキュメンテーション編」はこの記事で終わりとなります。10回の記事を全て読んでくださった方も、いくつかの記事だけでも読んでくださった方も、1年間本当にどうもありがとうございました。

「日本の幼稚園でやってみようよ『プロジェクト型学習』楽しい学びの冒険!」はこのドキュメンテーションシリーズの終了に伴って、ひとまずここでお休みとなります。少し間が空く事になりますが、今の職場でのエピソードなども入れた新しいシリーズをまたいつか更新したいと思っています。その間に、もし「こんなことをプロジェクト学習でやってみたいのだけど、その実践例をシェアしてもらいたい」、などリクエストがありましたら、ぜひこちらまでコンタクトくださいね。新しい記事で取り上げさせていただこうと思います。ダイレクトメールアドレスはこちらです。earth.children.blog@gmail.com

また、くろねこ先生は、自分のクラスにプロジェクト学習を取り入れてみたいという先生方のサポートプログラムをやっています。詳細はこちらからどうぞ

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