Pedagogical Documentation.
日本の幼稚園でできるの?やろうよプロジェクト型学習、子供が主体の学びの冒険~ドキュメンテーション第2巻!ここでは9の巻を10回の記事に分けて、プロジェクト型学習には欠かすことのできないドキュメンテーションの役割とその取り組みについて読者の皆さんと一緒に考えています。前回の記事をまだ読んでない方はこちらから!
他にはない深掘り思考の旅、気楽で呑気なのに真剣でかつ情熱的、とってもユニークなくろねこ先生のオリジナル、最後の巻までゆっくりとお楽しみくださいね!こんな感じでやってます!
- 一の巻 ドキュメンテーションっていったい何?なんでで英語よ?(こちらをクリック)
- ニの巻 ドキュメンテーションってどんなもの?(今回はこの記事!)Part1
- ニの巻 ドキュメンテーションってどんなもの?Part2(こちらをクリック)
- 三の巻 プロジェクト学習とドキュメンテーションの二人三脚の旅 (こちらをクリック)
- 四の巻 くろねこ先生のドキュメンテーションちょっと見てみます?(こちらをクリック)
- 五の巻 オーストラリアの怖~い監査とドキュメンテーションのお話(こちらをクリック)
- 六の巻 実は日本幼稚園教育要領さんは一番大切なパートナーだった!(こちらをクリック)
- 七の巻 七の巻 どうやって日本の幼稚園で実践できる?指導計画に組み込まれたドキュメンテーション(こちらをクリック)
- 八の巻 「こういうことする時間くれんならやってもいいよ」先生たちの時間戦争と勝算 (こちらをクリック)
- 九の巻 やらなきゃ実践からやりたい実践への楽しい脱皮 「ああ、先生やってて良かった!」
本題の前に…「日本の幼稚園でできるの?やろうよプロジェクト型学習~子供が主体の学びの冒険シリーズ~」では幼稚園のプロジェクト型学習について、メルボルンの幼稚園を拠点としたくろねこ先生の実践例を含めてご紹介させていただいています。シリーズの初回記事のリンクはこちらからどうぞ。
ちょっとおさらい
「おさらい」はいつもめんどくさいですが、ちょっとだけ:)。私たちが前回の記事で確認したことは、幼稚園で教師が取り組むドキュメンテーションとは、ペダゴジカル.ドキュメンテーションPedagogical Documentationとして理解するべきで、日本語では「教育学的証拠文献と資料の作成」と意味になります。
これはつまり、教師が指導実践をしてゆくなかで子どもに呼応した教育的アプローチを研究しながら、毎回の学習展開をサポートしてゆく、というものでした。まさにレッジオエメリアアプローチの「研究者としての先生Teacher as a researcher」の概念そのもの。ドキュメンテーションをやることで私たちの教育実践が、子どもにとって生命力の溢れる学びの体験となっていくわけです。
それでは…前置きがまがくなりましたが、今日のテーマに行きましょう!
2の巻「ドキュメンテーションってどんなもの?」
じゃあ、Pedagogical Documentation教育学的証拠文献と資料、つまり「ドキュメンテーション」とはどんなものなのでしょう?その「正体」をつかむために、ギャリー サウスオーストラリアGowrie South Australiaの「ペダゴジカル ドキュメンテーション、サウスオーストラリア州の視点」(Pedagogical Documentation South Australia Perspective, 2017、PDFのリンクはこちらをクリック )という、幼稚園教諭と保育士研修のためのプレゼン資料を一緒に読み解きながら考えてみようと思います。(この資料のバックグランドを知りたい方は前回の記事からどうぞ、ここをクリック)
この資料の中に「ペダゴジカルドキュメンテーションの特徴は何ぞや?What are characteristics of pedagogical documentation?」という問に答える形でキュメンテーションがどんなものであるかを、9つのセクションに分けて説明してあります。英語をきちんと訳すのはもう面白くないので、くろねこせんせい流でいっちゃいましょう。(個々のセクションには原文と直訳も書いておきます)こんな感じです。
- ドキュメンテーションは対人関係から展開する学びを明確にしてくれる!
- ドキュメンテーションは「私の考え」で良い!
- ドキュメンテーションとは教師が学ぶこと
- ドキュメンテーションで私たちが何者かを知る!
- ドキュメンテーションは子どもは尊い研究者であることを教えてくれる!
- ドキュメンテーションとは子供の声を聞くということ
- ドキュメンテーションには哲学が必要!~ヴィゴツキーの最近接発達領域説の出番だよ~
- 子どもの意向に沿った学びの旅、それがドキュメンテーション
- ドキュメンテーションはシェアするもの
では一つ一つ原文を交えてくろねこ先生流にお話ししてみますね。
1.ドキュメンテーションは対人関係から展開する学びを明確にしてくれる!
“Documentation is interpersonalドキュメンテーションとは対人関係に関すること“
ちょっと日本語の表現だとあまりピンとこない感じですが、例えばこういうことです。
アイちゃん、 ミングン 、メリーの会話
アイ「パパママごっこして遊ぼうよ」
ミングン 「じゃ、ぼくパパ。パパの仕事は検査技師ね」(ミングン の父親は検査技師なので ミングンがこの言葉を知っているという設定です)
アイ「ケンサギシってなあに?」
メリー 「あたし知ってる。お医者さんみたいなやつ!」
ミングン「ちゅうしゃうつの」
メリー 「はたらく人」のパズルを持ってきて「ほら、こういうの」と見せる
アイ「ふーん」
ミングン「じゃあ、うそこに、ここがお医者さんね」 3人で会話に沿ってごっこ遊びの場所セッテングを始める
この会話、これだけだとただの遊びの会話になるけど、先生がドキュメンテーションで文書や写真、またはビデオに残したとすると、たちまち、この3人の子供たちがこの偶然の会話を通して「検査技師」という「働く人」の概念に触れ、「社会的な学び」のきっかけを得たことに気が付くでしょう?
そしてこのやり取りの中で会話が発展し、ここにさらに教師の意図的なアプローチがあれば、学びが展開してゆく事になるわけです。ドキュメンテーションは子どもが対人関係や他者とのコミュニケーションから展開する学びを明確にし、次の学習展開への道しるべになってくれるわけです。
レッジオチルドレン代表のカルラ.リナルディー博士Dr. Carla Rinaldi はIn dialogue with Reggio Emilia: listening, researching and learning(2006) という本の中で、この特徴をレッジオの理念でもある「民主主義教育」に結びつけています。(*この本は日本語版にもなっているようです。「レッジオエメリアを対話しながら;知の紡ぎ手たちの町と学校」2019年出版、里見実訳。)民主主義の社会で生きる私たちは、たくさんの人々の見聞、価値観や思想に触れてそれによって刺激され、それをそれぞれの人生に役立てていきます。幼稚園保育園での子供の学びも同じであるという事です。
2.ドキュメンテーションは「私の考え」で良い!
“Documentation is subjectiveドキュメンテーションとは主観的なものある“
あなたがあなたの考えを文章を書くとき、または絵を描いて自分の感情を表現するとき、それはいつも「あなたの想い」が基準となっています。簡単に言うとドキュメンテーションもそんな風に主観的でいいという事です。だって、そういう人間的な見方があって初めて魂のこもった人間的な教育がなされるわけですからね。
新しい初等教育指針Early Years Learning Framework (EYLF)が発布される2009年までのオーストラリアでは、教師は「子供の発達記録は極力客観的になされるべきである」そして「観察記録と学習結果を分けて記述しなければならない」とトレーニングされてきました。私はこれがすごく苦手だったのを覚えています。
極力客観的 な記録というのは例えばこんな感じです。「トムはジャックの顔を時おり心配そうに眺めながら彼のいるところまでゆっくり歩き、しばらく立ちすくんでいた。そして教師のほうを振り向き、またジャックのほうを向いて、またしばらく黙っていた。1分ほど経過したところで「ジャック…」と小さな声で彼の名を呼んだが、 ジャックはトムを振り返ることなく、トムから取り上げたトラックで黙って遊んでいた。会話はそれ以上なかった。」と書かなければいけないというわけです。
(EYLFが発布された後でさえ、プレミアムケアで有名な某チャイルドケアカンパニーの専属トレーナーの中に、この観察記録のことを「ブロードキャスティング」と名づけして売り込もうとした人がいたことをくろねこ先生は知っています笑。)
この観察記録を、こう書くとどうでしょう。
「今日トムはまたジャックにトラックを取り上げられ、私が見守る中、何とか勇気を振り絞ってトラックを返してほしいと訴えに彼に近寄っていった。私のほうを心配そうに見ていたが、私は遠くから「頑張ってね」という顔をして見守っていた。それが励みになったのか、トムは何とか極小の声を出して、まず一言「ジャック…」と呼んだ。トムは今日はそれ以上言えなかったが、勇気をもって私から離れて何とか自分の意向を伝えたいと行動に移したことは、トムにとっては大きな進歩だった。」
そして、この先生がドキュメンテーションの中で、主観的に教育視点を探っったとします。例えば…
「私はトムがジャックにおもちゃを返してほしいと自分で言えるようになるのは、彼が幼稚園の環境の中で自信をつけて、彼のアイデンティティを強く保っために必要なことだと信じている。なので、 『自分で言いに行く』という行動をこれからもサポートしていきたいと思う。トムと話し合って、どのように『おもちゃを返してほしい』と他の子供に表現したらいいのか、明確なやり方を探したいと思う。そして同時にクラス全体にこの問題をどのようにアプローチしていこうか考えてゆこう。トムにやさしくするようにみんなに注意を促すのは、全く解決にならないだろう。トムが幼稚園の環境に慣れるために、クラスの子供たちが考える最善の方法は何か、なぜトムからおもちゃを取り上げる事が起こるのか、話のきっかけをつかむ必要性がある。」
ちょっと、だいぶ英語的表現になってしまいましたが、日本語的表現に直して読んでいただくと、このドキュメンテーションがその先生の主観的な教育視点から書されているということがわかると思います。そしてまた、主観的であるからこそ、そこに巡らせている考えも生き生きしていて、指導に対する真剣さもうかがわせています。
ドキュメンテーションには、そこに「人間的な主観的観察と考察」があるからこそ、それを資として、生きた学習展開のストーリーが生み出されるってことです。
また 「ペダゴジカル ドキュメンテーション、サウスオーストラリア州の視点」 にはもう一つ大切な事として “Being too sure stops the exchange of ideas and reflections”という事も記されていました。
どういうことかというと、 主観的観察と考察 をせずして、全てが確実な答えとしてのドキュメンテーションであるなら、そこには、教師達がより意義のある学習展開を考えるために議論したり反省したりする余地がなくなってしまうという事です。
リフレクションというのはレッジオエメリアアプローチを展開するには絶対的なエッセンスであり、そしてまた「生きた教育」を展開させたいと願うすべての教師にとって必要不可欠なことなわけですね
3.ドキュメンテーションとは教師が学ぶこと
“Documentation is Research process ドキュメンテーションとは研究過程そのものである“
これについては前回の記事でお話しした通りです(リンクはこちらをクリック)。教師はドキュメンテーションを通して子供の学習過程を振り返りながら、どのように子供の学びの旅をサポートしたらよいのかを考えて実践を続けてゆきます。これが教師の実践を通した研究となります。
また、教師をやりながら大学院で勉強している先生ならば、これはしばしばアクションリサーチAction Rsearchとしてのフォーマルな実践研究につなげることもできます。私には、オーストラリアの大学でこのアクションリサーチに力を入れるのには、レッジオに影響を受けて「研究者としての教師」像を何としても定着させたいという、政府の幼児教育改革への努力のようにも見えます。
4.ドキュメンテーションで私たちが何者かを知る!
“Documentation shapes the identity of children and educatorsドキュメンテーションとは子どもと教育者の主体性を形成するものである“
これも日本語の表現としてはちょっとすんなり入ってこない感じもしますね。ここはちょっと原文をご紹介します。くろねこ先生、頑張って訳してみますね。
Traditionally, an educator is viewed as the one who knows and who manages and controls learning. Educators’ identities shift when they see themselves as co-learners and facilitators of learning who are studying with children. They are guides and fellow travellers on the learning journey, rather than directors of learning. Pedagogical documentation shows the learning of the children and the educators. 教師は(伝統的には)、学習というものを知っていて、(学習を)管理し、コントロールしたりするものとみなされている。教師のアイデンティティーは、子供と一緒に学習活動をする学習仲間になったり、指導者になったりと(時々で必要に応じて)変化する。教師とは子供達にとって学習の監督者であるというより、「学びの旅」のガイドでもあり、また旅の仲間でもあるのだ。教育学的ドキュメンテーションとは(つまり)、(その様な)子どもと教師の(共同)学習を示すものなのである。
Rinaldi (2012) says, ‘When teachers document children’s work and review these documents with the children, the net result is a change in the image of their role as a teacher, a change from teaching subject matter to studying and learning with children’ (p. 249). リナルディー博士は、「教師が子供の学習を記録してそれを子供と一緒に見返す時(つまりドキュメンテーションを作成し、それを子どもと一緒に見返すとき)それは、結果として、教師の役割の変化となり、また『教える内容』から 『子供と一緒に学ぶこと』への変化となるのである。」と述べている(引用元は参考文献を参照*2)。
リナルディー博士の言葉はイタリア独特の豊かな感情表現を英訳してあるという事もあって、私には、読み解くのは難しいですねー泣。
This shift in educator identity is consistent with the identity needed to engage in practitioner inquiry. Similarly, children’s identities shift when they see their learning valued and taken seriously and they come to see themselves as respected learners who contribute new insights. これも訳が結構難しいです。直訳するとこんな感じになります(広告の後)。
「この教師のアイデンティティーの変化は、実践者の問いかけに関わるために必要なアイデンティティーと同質的である(または一致する)。同様に、子供のアイデンティティーは、彼らが、 彼らの学習に価値があり、それが真剣に受け止められていると見た時、彼らは、尊重されるべき、新しい考察に参加する学習者と変化する。」
頭が痛くなりそうなので、くろねこ先生流に訳しちゃいます。こうです。
「そんな風に変わる教師のアイデンティティー(教師が学習者自身になったりすること)は、私たちが学びの中で不思議なことや疑問を見つけ、その答えを探そうとするときに発揮する能動的で活発なアイデンティティーと同じです。同様に、子どもたちのアイデンティティーは、自分たちが 尊重されるべき学習者であると認識され、学んでることを真剣に受け止められている時にこそ、新しい発見や思考の旅に参加しようする能動的で活発な学習者のアイデンティティーへと変化するのです。」
つまり、子どもは自分が「知りたい」「不思議」と思ったことを調べたり実験したりしていることを、周りから受け入れられ、それに対しての協力やサポートがあった時、「自分は学習してる」という自信を持つことができ、さらに新しい発見を見つける能動的な学びの旅をする自分へと変化してゆくことができる、という事です。
ドキュメンテーションは、 教師と子供 が それをシェア することで学習展開を明確にしてくれる、素晴らしい手段であり、それは強いアイデンティティーを育てる助けになるという事なわけす。
「学習展開に伴う教師と子供の役割の変化」については、日本の幼稚園でできるの?やろうよプロジェクト型学習、子供が主体の学びの冒険~シリーズの一番はじめの記事に詳しく、そしてわかりやすく書いてみたのでぜひ読んでみてください。リンクはこちらです。
続きは次回の記事で!
ドキュメンテーションってどんなもの?Part1はこれでおしまい。次の記事 Part 2 はこちらをクリック!、引き続き「ペダゴジカル ドキュメンテーション、サウスオーストラリア州の視点 2017」から残りの5項目について見てゆきましょう。
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くろねこ先生の「日本の幼稚園でできるの?やろうよプロジェクト型学習、子供が主体の学びの冒険シリーズ~ドキュメンテーション虎の巻全集~」次回もお楽しみに!
Reference
Jamie Huff Sisson and Victoria Whitington, Gowrie South Australia, ‘Pedagogical Documentation:A South Australia Perspective’ https://gowriesa.org.au/docs/Pedagogical-Documentation-08-02-2018.pdf
*2 Rinaldi C 2012, ‘The pedagogy of listening’, in C Edwards, l Gandini & G Foreman (eds) The hundred languages of children: the Reggio Emilia experience in transformation, 3rd edn, Praeger, Santa Barbara, CA. (Chapter 13