戦闘態勢をとる訓練とリカちゃん人形の偉業
世の中に対していつも戦闘態勢上々であった幼い私は、それでもすくすく(というのは、現在のの児童心理学上の視点で見ると語弊がありそうだが少なくとも70~80年代世代の子供としてはすくすく)と成長していった。 常にフル回転であった想像力と空想力が幼い私の、「世間」を生きる唯一の武器であったが、それがいつも周りにとっては厄介な事であったということは、第3話で話した。この「まわりを厄介にする」想像力と空想力をマックスに起動させた遊びは主に「お人形さん遊び」や「ごっこ遊び」、そして「お絵描き」であった。ちょっと、これらの遊びについて思い出して笑ってみたいと思う。
くろねこ先生波乱万丈物語 第3話
「理想郷に向かう戦闘態勢は上々です!」
私の幼少期の印象を確認しておくが、皆にいじめられて心の殻に閉じ込もっていた可哀そうな寂しい子供という印象を抱いたのであれば、それは全くの誤解である。私はいたって元気で人なつっこく大変勝気であって、心理的には暗い幼少期を過ごしたという思い出はないのである。が、前回の話でも触れたようにぎこちない家族関係の中にあって、どうしても気持ちが「現実世界」より空想することや想像することに向くほうが多かったのである。しかし、性格は攻撃的だったので、 この空想力や想像力がマックスというのはかなり厄介であった。どうしてかというと、空想したり想像したりして出来上がる「完璧な自分の世界」を他者によって変えられたりるすると、非常に敏感に反応し…
くろねこ先生波乱万丈物語 第2話
不思議ちゃんと金八先生の恩恵
感情の起伏が激しく1+1=2をどう理解したらいいのかわからなかった私は、かなり算数音痴のまま成長していった。算数音痴、しかも感情の起伏が大きい子供というのは、一般的に「おバカさん」と見られてしまうことが多いんだろう。最近は児童心理学も進み情報もたくさんあるので、子供の発達をいろいろな視点から見てあげられることができるような社会に、少しずつだがなってきている。私の時代は今の状況の前段階だから、いろいろな視点から子供の発達を見れるようになってる大人はいたけど、それを一般の認識とすることはまだ社会が認めなかった。だから…
くろねこ先生波乱万丈物語 第1話
多かれ少なかれ、人はみんな波乱万丈な人生を経験しているんじゃないだろうか。で、言いたいのは、その乱れる波の波長が人によって違うわけだ。私の人生の波はまあ震度6で起こる津波みたいだったかな、なんて思うのである。まあ、自分で流れてきた道にしては(決して計画的に選んだとは言えないから、「流れた」と書くのが適当)つらいことが本当に多かったと思うんだけど、